箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

博士学位論文(D論)をしっかり書いた方が良い理由

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正直、やる意味なくない?

博士号を取得するためにやらなくてはいけないこと。

それは「博士学位論文」の執筆です。

かねてより私は、この博士学位論文(通称:D論)に関して、納得いっていないことがありました。

それはD論執筆の意義、です。

D論を書く状況にある学生は、みな一度は考えるのではないでしょうか。

 

Twitterでの質問に対する反応

当時の問いかけに対して、集まったコメントとしては

  • 特に理由なんてない
  • 修了するための「儀式」のたぐい
  • 「学位取得に足る資質がある」ことを専攻の教員に示すため
  • 出版(or投稿)論文を束ねて、短いイントロ&コンクル付け足してD論とするのが増えているが、全ての学生が複数の論文を出せる/書けるわけではないので、その場合は普通のD論を書くしかない 

というものがありました。

 

それを聞いた私の反応

こんな意見を聞いて、更に私は

  • 特に「やる理由がない儀式」って何?
  • 「学位取得に足る資質」って何?そのうちD論で評価できる要素って何?
  • もし投稿論文をD論で代替可能なら、卒業要件に「出版(投稿)論文●報」って要らなくない?D論だけ書いて卒業で良くない?)
  • もしD論を投稿論文で代替可能なら、在学中に論文を複数出版している人は書かなくても(別刷りの提出で)良くない?
  • もし「D論=投稿論文のコピペ集+α」なら、「α」の部分に意義や価値を明確に示せない限り、やる意味なんて無くない?

と、ブチ切れる訳です。笑

「体裁を整えるだけなんだから」とか「主著論文が数本あるだけいいだろ」とか「そういうものなんだから書きなよ」とか言われても、全然納得できない。そういう問題じゃない。

だって、そんな「やる意味が見いだせない曖昧なモノ」を作るための準備にかける「それなりに長い時間」は、次の投稿論文の執筆に充てた方が、よっぽど価値があるんじゃないの?と、私には思えるからです。

・・・と、こんな感じであーだこーだと文句垂れつつも、結局学位を取得するためには書くしかなかったので、どうにか書き終えた訳なんですけど。

 

働き始めて数ヶ月、いよいよ研究がスタートしつつある今になって、確実に言えることがあります。それは

D論はちゃんと書いた方がいい」ということです。

それも、ただまとめるだけじゃなくてしっかり時間をかけて、じっくり考えて書いた方がいいです。

なぜか?

なぜあんな文句を言っていたくせに、そういう結論に辿り着いたのか?今回はそれについてお話できたらと思います。

私のような「ああああああD論めんどくせ〜やる価値見出せねえ〜〜やりたくねえええええ」とお思いの博士課程学生各位に、「自分次第では、D論執筆は案外有意義なものにできるよ」ということを、(自戒を込めて)お伝えできたらと思います。

 

***

やっぱりD論はしっかり書いた方が良い理由(私的解釈)

これから話すことは、博士学位論文というもの対して

  • その必要性に関して「誰も明確な説明や根拠を示していない」けど、
  • 「現在のような学位取得システムが今後も採用され続ける」という前提で
  • その中で「私が意義を見出すならこういうところ」

という内容になっています。学位取得システムの是非・・・などについては取り扱いませんので悪しからず。

 

***

投稿論文の役割

学生のみなさんは、在学中、投稿論文ってどんな目的で書いているでしょうか?

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投稿論文の役割は「今までの軌跡を示すこと」
  • 自分が研究で得た有意義な成果を世に公表するため
  • 集まったデータを整理してまとめるため
  • 卒業要件を満たすため

いろいろなモチベーションがあると思いますが、共通しているのは「今までやってきたことや、その成果」を、まとめる、あるいは区切りをつけるために書いている、という点にあると思います。

 

単純に図示してみると、以下のようになります。

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矢印の左端が過去、右端が現在。昔から今に至るまでに、研究対象への理解が進み、研究が発展していく様子を表しています。

 これらの「研究した末に理解できたこと」「その内容について論文を執筆し出版すること」の繰り返しによって、サイエンス、そして研究者としての人生は前に進んでいくように見えます。

 

新定義!博士学位論文の役割

このままの学位取得プロセスが今後も継続されていくとするならば、私たちは「博士学位論文」に対して、投稿論文とは異なる何かしらの「やる意義」を見出したいところです(このままではやる気が出ないから…)。

 

そこで!!!

その「学位論文執筆の意義」について、自分の経験を含めて、私は以下のような解釈を提案したいと思います!!!!!

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博士学位論文の役割は「(今までの成果・軌跡を踏まえた上で)これからの道筋を示すこと」ではないだろうか?

投稿論文が「今までのこと」を書くモノなら、学位論文は「その先(達成したい課題・命題)」を考え、体系的に述べる訓練の場とする!という考え方です。

 

これは、ただ単に「投稿論文との差別化」ができるというだけではなく、このようなモチベーションで学位論文の執筆に取り組むことによって、

今までは、提出されたら最後、指導教員と大学図書館に埋葬されるしかなかった「学位論文」の存在を、この先の研究者人生を送る上での「重要な糧」と位置づけることができるようになると思います。

 

やる気になれないD論執筆も「良いチャンス」にしてやろう

在学中って、ほとんどの学生は「学位を取得すること」を目的に、目先の「やるべき課題」をしっかりこなそうと、努力を積み重ねていますよね。

でもその一方で、

  1. 自分がやってきた研究の軌跡〜現在地をじっくり振り返ること(体系的に整理したり、立ち位置を理解したりすること)
  2. これから先、研究者人生の中でどのような課題・命題を、どのような道筋で解決してきたいか?を描いてみること
  3. 自分のやってきた・やりたい研究が、どのように学界に貢献できる(と期待できそう)か、ビジョンや意義を考えたり、ポンチ絵を描いてみたりすること

ということを考えるための「まとまった時間」を、実はあまり確保できていないことが多いです。

「そんな余裕無いし、卒業してからゆっくり考えればいいのでは?」と、思えたりもするのですが、実は卒業したらしたで、その後働き始めてしまうと(雇用先の方針にもよりますが)、今度は雇われ先での業務に追われてしまうケースがとても多いです。

そうすると、結局「じっくり考えるための時間」というものは、なかなか訪れてくれないのです。

なので、上記1-3のような事柄について、在学中に、できれば研究者生活をスタートさせる前に、しっかりと確保して、他人の目にも見える形でまとめておいた方がいいと思うわけです。

そしてそれらをまとめたものを、博士学位論文として執筆し、提出するというのが、最も有意義な時間の使い方なのではないか?というのが、私の持論であり、提案です。

 

理想を言えば、こういう事柄は、常日頃からしっかり考えながら研究していくのが一番良いのでしょうけれど、そんなことを当たり前のようにこなせるのは、一部の「超優秀な人たち」だけで、私のような凡人は、いつも研究や課題に追われていて、日頃からじっくり考える時間なんてちっとも確保できない訳ですよ・・・。

でも、でも!!!

少なくとも私は、昨年秋頃から数ヶ月におよぶD論執筆の期間だけでも、こういうことを考えながら過ごせたおかげで、

単発の研究課題をすすめている中では理解ができていなかった点について話を詰めることができたし、次の論文の構想にも役立てられているし、なんせ公募の書類や、競争的資金の申請書を提出するのに、ものすごく、役立ちました(多分これを考えられていなかったら、公募落ちていたと思うんですよね。本当のところはわかりませんが…)。

 

また、上記2. の「(研究者人生を通して)達成したい課題・命題」というのは、研究のオリジナリティに直結する部分だと思うので、今後研究活動をおこなっていく上で、考えておくべき、重要な要素なのではないかと、今のところ考えています。

 

ただ、この「オリジナリティ」については私もまだ模索中の身ですし、これが真実かどうかは10年以上経たないとなかなか評価できないと思うのですが、

数ヶ月間の模索でもある程度役立てられているという実体験が私にはあるので、

これからD論を書く皆様におかれましては、せめて1と2だけでも、たとえうまくD論に組み込むことができなかったとしても、ほんの少しでもいいから、考えてから卒業していくことを、強く強く、オススメします。

 

***

以上が、私が提案する「博士学位論文をしっかり書いた方が良い理由」でしたー。

本当はこういう「必要性」みたいなものを、誰かが教えてくれたら、こんなモヤモヤすることもなく素直に執筆できたんだろうけどな〜とも思いますが、自分でそれなりの意義が見出せて、良かったかな?と、今は思っています。

 

この記事を見て、少しでも「面倒と思ってたけど、ひょっとして良いチャンスなのかも知れないな?」と、前向きにD論執筆に取り組める人が増えてくれたら、幸いです。

 

以上です!