箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

地球温暖化・エネルギー問題にどう向き合うか(私見)

追記10/1:タイトルを「地球温暖化問題にどう向き合うか(私見)」としていたのですが、私が議論したいのはプロローグ以降の「お金と経済成長とエネルギー問題」についてなので、タイトルを「地球温暖化・エネルギー問題にどう向き合うか(私見)」に変更しました。

追記10/2:過度に決めつけてしまう表現があったため、一部修正しました。

 

プロローグ

地球温暖化から地球を守り隊」の今

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寒いギャグではない。大真面目である。

私は、小学校高学年だった時、自分のことを「地球温暖化から地球を守り隊」と名乗っていた記憶がある。もしかしたら「阻止隊」だったかも知れないけど、いずれにせよ当時の私は、地球温暖化を始めとする環境問題に、強い関心を抱いていた。

その頃は小学校教育に「総合」という科目があって、たまたま私の小学校は、環境問題を題材とした教育を熱心におこなっていた。ある日先生が「環境について興味のあることを対象に、グループをつくって、自由研究をして発表会をしましょう」と言うので、図書館で地球のことを調べていたところ、たまたま「地球温暖化」について取り扱っていた書籍(※小学生向け)を見かけたのだった。

初めて聞く名称。表紙には困った顔の地球。

試しに読んでみた。

本当にショックだった。

私たち人間が豊かになればなるほど、地球は、その代償を背負わされていくことを、その時に初めて知ったのだった。

 

私は、学校の近所のさと山(さぬやま、と当時呼んでいた)が大好きだった。

さぬ山の中のどこかにある、ちょっと開けたところに寝転がり、目を閉じて、風の音、サワサワと木の葉が擦れる音を聞くのが好きだった。

でもひょっとしたら、何年かしたら、この私の大好きな場所が、消えて無くなってしまうのかも知れない。私の子供や、孫が生まれる頃まで、残すことができなくなってしまうのかも知れない。私たち人間のせいで。

悲しさと、焦りとで、罪悪感とで、いっぱいいっぱいになったことを覚えている。

そんなことにはなって欲しくない。そのためには、私たちは今後環境問題に向き合っていくしかないし、この自然は、自分たちの手で守るしかない。

当時、本気でそう思っていたのだ。

 

20年弱の時を経て、隊員のリーダーであった私は、環境科学の博士号を取得した。ようやく、自然環境のために働くことができる。そう思ったのだ。

全ては図書館であの本を見つけ、「地球温暖化から地球を守り隊」と名乗ったのがきっかけだった。当時のメンバーたちは、元気にしているのだろうか?

 

彼女の怒りを茶化すなと言いたい。

国連の温暖化対策サミットにて、スウェーデン人女性であるグレタ・トゥーンベリさんが演説をおこなったことが話題になった。

www3.nhk.or.jp

人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。 

 

彼女が言う「人々」には、氷床の融解に伴う海水準上昇にによって住み家を失ってしまった人たちのことも、気候変動によって食料を十分に得ることができず飢餓に苦しんでいる人たちのことも、頻発する台風やハリケーン、それに伴う洪水によって命を奪われてしまった人たちのことも含まれるのだろう。ここ数年間だけを見てみても、世界中で、日本でだって、たくさんの人々が、犠牲になっている。

もちろん人間だけではない。環境の変化に伴って、多くの動植物が、死んでしまったり、今まさに絶滅の危機に晒されたりしている。あるいは、元々は安定して存在していた生態系が、変わってしまおうとしている。

これらの問題に関して、温暖化との直接的な因果関係を「証明すること」はとても難しいが、多くの自然科学者が、環境の変化や、異常気象を問題視し、研究をおこない、関連性を指摘している。

 

30年以上にわたり、科学が示す事実は極めて明確でした。なのに、あなた方は、事実から目を背け続け、必要な政策や解決策が見えてすらいないのに、この場所に来て「十分にやってきた」と言えるのでしょうか。

 

ここで、実際に考えてみて欲しい。

私たちは「私は地球温暖化対策のために、毎日こういう活動をしてきました」と、堂々と宣言できるだろうか。

温暖化問題の本質に、どの程度、向き合ってきただろうか。

どのくらいの時間、思いを巡らせてきただろうか。

当事者意識を持って行動してきただろうか。

自国や他国が打ち出してきた温暖化対策を、どれほど知っているだろうか。

環境に関する何かの会議がおこなわれる度に「そういえばそういう問題があったなあ」と、思い出しては、またすぐに忘れ、文明によって発展したこの便利すぎる社会の恩恵にあずかって、大量のゴミと二酸化炭素を排出しながら、生き存えてきたんじゃないだろうか。 

私は、彼女は至極、まっとうなことを言っていると思った。

 

一方で、SNSなどを見ていると「あの演説は適切だったのか」「大人にやらされているだけ」「子供の人生を政治利用するべきではない」「彼女のパーソナリティが…」「親の考え方が…」「子供を矢面に立たせる組織は信用できない」とか、そういう話ばかりが盛んに議論されている様子が、観測された。

失礼にも程がある。

目を向けるべきは、そこじゃない。

そもそも地球が温暖化「傾向」にあるのは事実である。そして、そのきっかけが人間活動によってもたらされた可能性があるという議論は確かに存在する。たとえ彼女の演説に物言いをしたり、活動や人格を否定してみたりしたところで、これらの事実は決して曲げられない。

もしも、これを読んでいるあなたが、この温暖化問題を解決することを望んでいるのなら、今からは「彼女自身の言動」に目を向けるのではなく、彼女の「怒りの根源」=「なぜ、簡単に解決することができないのか」ということに、きちんと目を向けてみて欲しいのだ。

そして、もし彼女と同じような問いにぶつかり、怒り、あるいは悩む人が近くにいた時には、その構造的な難しさを説明し、その解決作を共に考えて欲しいのだ。

なぜならば、限りある資源を利益のために搾取し、環境を破壊し続けたのは、他でもない人類、つまり、彼女達よりも先に生まれた私たちなのであり、その恩恵に与って生きてきた私たちには、その事実に正面から向き合い、考え、答えを導き出す努力をする責任があると思うからだ。

 

※そして、これは推測にすぎないけど、彼女は誰よりもこの「惨状」を、悲しみ、憂いていて、破壊してしまった自然環境に対して、償うことも、修復することもできない、更には意思決定にさえ加われない「もどかしさ」が、怒りとして現れたのではないかと思えてならない。小学生だった私には彼女ほどの行動力はなかったけれど、気持ちとしては十分理解できてしまうのだ。あれは、彼女自身の怒りであり、悲しみである。誰かに押しつけられたものなんかではないと、私は思う。

 

温暖化問題に向き合う上で、考えてみてほしいこと

ところで「そもそも、本当に温暖化しているの?」とお思いの方にむけて、念のためこれを貼っておく。地球が近年温暖化傾向にあるのは真実ではなく「事実」なのです。

 

news.yahoo.co.jp

グレタさんは、演説の中で、地球が抱えている現状を憂い、「お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり」で、温暖化対策に本腰を入れてないように見える世界の首脳陣(ひいては、自分より年齢が上の全ての人)に向けて、怒りをぶつけた。

「そんな悠長なことを言っているうちに、地球はどんどん破滅に向かってしまう」「問題を全て先送りにして、地球を救う責任の全てを若者に転嫁しようとするなんて、なんて無責任なの!」と思っているのかも知れない。

確かに、観測できる事実だけ並べると、具体的な議論や対策に進んでいかないことにやきもきしてしまうだろう。

 

一方で、地球温暖化問題は、国や都市レベルでの環境・公害問題を解決するプロセスとは、少し質が異なる。地球温暖化問題について「必要な政策や解決策が見えてすらいない」ように見えるのには、理由があるのだ。

それは、世界で一丸となって温暖化対策をすることになった場合、彼女が批判していた「お金のこと」や「経済成長」をどうするか?という議論は、残念ながら避けては通れないし、そこを突破しなければ、事を動かすことさえできないからである。

お金のこと、経済成長のことは、どの国にとっても、そしてどこの国民にとっても大切なものであり、決して、簡単に結論を下すことはできない。

 

大気中の二酸化炭素の「量」は減らせるのか?問題

地球温暖化に関する現象の解説や、そのうちの人間活動の寄与度などは、既に多くの人が十分おこなっていると思うので、この記事では割愛しようと思う。端的に説明するなら、地球を温暖化させる大きな要因のひとつが「温室効果ガス」の存在であり、ここ数十年解決されるべき問題の1つとなっているのが、温室効果ガスのひとつである「二酸化炭素の人為的排出」である。

人によって排出される二酸化炭素の主な起源は、化石燃料の燃焼である。化石燃料は、何億年も前の生物(植物等)の死骸が起源であり、熱やエネルギーを得るために、地下深くから掘削され、燃やされ続けている。この化石燃料が燃焼する過程で、大量の二酸化炭素が大気中に直接放出される。その結果として、地球に対する温室効果が増大し、全球的な温暖化が加速する、と言われているのだ。

 

では「現在大気中に存在している「温室効果ガス」の量そのものを減らすことができれば、温暖化問題は解消されるのか?」というと、残念ながら難しい。

既に放出されてしまったガスを「一気に減らすこと」は、今までにも多くの研究者が、あれやこれやと策を考えているが、実用化できるかどうかという視点に立つと、その壁を超えられるものはほぼないと言っていいだろう。

となると、温暖化対策の次の一手としては、二酸化炭素の「排出量」を、どのように減少させるか?という課題に行き着く。

 

化石燃料の「使用」を制限できるのか?問題

排出量を削減するために、最も単純で、かつわかりやすい手段は「化石燃料を使用することを全世界的に禁止する」ことである。

化石燃料を売ることによって富を得て生計を立てている国からしたらたまったものではないだろうが、これも選択肢のひとつなのかも知れない。

しかし化石燃料の使用を全世界的にやめる」という決断をすることは、現在発展途上にある国々が、今後発展する可能性、経済的に安定する機会を、先進国の決断によって奪うことと同義になってしまうのだ。

化石燃料を燃焼することでタービンを回す「火力発電」は、比較的シンプルな構造と技術で、効率的に大きな電力を生み出せる手段のひとつであり、私たちが発展する過程でも、大量に用いられてきた。今まさに発展しようとしている途上国の彼らにとって、再生可能エネルギー原子力エネルギーを用いて発電・開発をおこなうことは、技術的に(特に原子力は政治的にも?)困難である。

エネルギーの安定的な供給によって、ものをつくり、発展し、生活が豊かになるという一連のプロセスは、どの国の人間にとっても同じなのだ。彼らの「発展する権利」を、私たちが一方的に奪うことなど、あってはならないんじゃないかと。そう思うのです。

そもそも、現在大気中に存在している二酸化炭素の多くは、現在の先進国がかつて発展していく過程で排出されたものなのに、その尻ぬぐいを、今から発展しようとしている国々に、背負わせることなど、私にはできない。

 

化石燃料からどのように「脱却」するのか?問題

これも温暖化対策サミットの話ですが、日本の環境大臣の発言を受けた書かれた記事からの引用します。私はセクシー発言なんかよりも、以下の言葉が「地球温暖化問題を解決する難しさ」を物語っていると感じました。

“We haven’t taken the strong action and powerful leadership since then, but from now on, from today, we want to do more,” Koizumi said, without giving details.

Koizumi reiterated his opposition to nuclear power on Sunday. “I want to realize a society, a country, with no fear about the nuclear crisis,” he said. “But it isn’t easy, it’s a complicated issue. But I’ll try my best to reduce the nuclear power in the future.

引用元:Make climate fight 'sexy,' says Japan's new environment minister - Reuters

 

おそらく、日本の環境大臣は「化石燃料の利用を抑えなければいけないのは周知の事実であり、理解はしているものの、その具体的な方法論までにはいきついていない」、そして「原子力発電の危険性も理解しており、減らしていきたいと思っているものの、現状で日本の電力需要を補えるほどのエネルギーを獲得できる良い手段が無い」と、言っているように、私には感じられました*1

 

しばらくの間、日本は、火力発電と原子力発電の二段構えで、エネルギー需要の大部分を賄っていました*2。しかし、2011年の東日本大震災以降、多くの原子力発電所が運用を停止することになり、それによる不足する分は、火力発電で補っているのが現状である。

一方で、温暖化問題を抱えている以上、火力発電をし続けたら、着実に温暖化に貢献してしまう。さらには、いつかその化石燃料資源だって、枯渇してしまう*3

 

この先の日本では化石燃料を用いた火力発電」に代わる「代替手段」を用いて、エネルギーを安定的に生み出す仕組みを作ることが急務となるだろう。

さもないと、資源が枯渇したら最後、例えば製造業は顕著に衰退していってしまうだろうし、経済も不安定化していくことだろう。会社や社会や国がお金を稼げなくなると、個人レベルでの給与も減ってしまうだろうし、それに伴って、生活に苦しんでしまう人が増えてしまう可能性があるのだ。

 

となると、時代の流れとして「再生可能エネルギー」が注目を浴びるようになるだろうことは、容易に想像できる。

 

再生可能エネルギーは本当に地球に優しいのか?問題

しかし再生可能エネルギー」のプラントを開発・建設するには、お金も、エネルギーも、土地も必要になる。そこには「誰がそのためのお金を出し、誰が管理し、誰がどこの土地を提供するのか?」という問題が、常に立ちはだかることになるだろう。また、建設したらそれで万事解決…という訳にはもちろんいかず、管理や修繕等の維持コストもそれなりにかかるため、電気代が、今よりもかなり高くつくことが予想される。

そしてそもそも、プラントの開発や建設によって、今そこにある自然環境が破壊されてしまうことに関しても、十分に考えておく必要がある。

例えば、新たに太陽光パネルを設置しようとした時、平たい土地を得るためには、木を切り倒し、山を部分的に崩す必要がある。使わなくなった農業用地のみに設置する、ということも可能だが、本来そこは、植物が育つべきだった場所なのだ。太陽光パネルの設置は、植物が得るはずだった太陽エネルギーを奪い、植物が成長しながら吸収してくれるはずだった二酸化炭素を、そのまま放置することと一緒である。さらには、植物を起点として生まれる食物連鎖、生態系、そこに生きられるはずだった生き物たちが、住み家を追われてしまうことを意味するのだ。

水力発電も、潮力発電も、風力発電も、本質的には同じだ。自然の中に「構造物」を設置することは、決して少なくないダメージを、自然生態系に与えてしまう。つまり、私たちが「自然からエネルギーを得る」と言うことは、本来はそこで誰か(他の生物)が使うはずだったエネルギーを搾取してしまうことと同義であることも、考えなくてはならない。

 

まとめ…られないから難しい

私はこの1週間くらい、この記事をどうやってまとめたらいいのか、ものすごく悩みました。結論から言うと、唯一解は存在しないと私は思います。

私の場合は、地球のことがとても好きで、どうしても守りたくて、地球科学とか環境保全とかいろいろ勉強してきたつもりだったけど、特に地球温暖化のような環境問題は、考えれば考えるほど「科学の知見だけで解決できるわけではない」「地球の上には自分以外の人間もたくさん住んでいる」ことを、強く、強く思い知らされるのです。

しかも、こういうことって、誰かが授業で教えてくれるわけじゃないから、自分で考えようとしなければ、気付くことさえできないじゃないですか。

でも、地球という惑星の中で、自然と人間が、みんなで共存していくことを望むなら、目を背けてはいけない問題だと私は思うのです。

 

私は、もちろん、温暖化して欲しくない。環境を壊したくない。人間のせいで多くの生命が脅かされることなんて、あって欲しくない。地球や生き物を守りたい。だから、やっぱり、化石燃料なんて使いたくないし、誰にも使って欲しくない。

でも、化石燃料を使うことが発展への近道で、自国が豊かになることを熱烈に望んで、一生懸命努力している人も、世界中にたくさんいるはずなのだ。日本だって、同じ道を歩んできたのだ。私は、彼らのその「発展し、成長していく権利」を奪うことなどしたくないし、できるわけもない。

「地球のために」なんて呑気に考えられているのは、私がたまたま先進国に生まれて、豊かさの中で生きているが故の平和ボケなのかも知れないと、思うこともある。

 

一方で、温暖化は本当に嫌だけど、エネルギーも使いたい。人間が生み出したこの便利さを、(無駄遣いこそしないにせよ)可能な限り享受しながら生きていきたいという気持ちだってある。私たちはお金(燃料費)さえ払えば、日本の裏側だって、極域だって、赤道域だって、どこにだって行ける。PCやネットワークを使えば、世界中の色んな人とコミュニケーションできる。友達もたくさんできる。色々な価値観を持った、良き友人が増えると、人生は途端に豊かになる。

でも、その便利さの裏側で、誰かが苦しんだり、木々が倒されたり、山が崩されたり、海が埋め立てられたりして、その場の自然環境が破壊され、生き物たちが住む場所を奪われていってしまうのを、黙ってみていられるほど、開き直ることもできない。

 

再生可能エネルギーで全ての電力需要をまかなえるはずだ」と主張する人もいるけれど、実際に「足りる」と試算した人や、その結果や試算が「(システムとして)持続可能(=現実的)なのかどうか」を検証した人を、私は見たことがない*4

 

人間はエゴのかたまりだ。

環境問題について考えていると、それを痛いほど思い知らされるのだ。

そして、この世の中は、「肝心なところ」・・・つまり、本質的な問い(=みんなで考えて、答えを導いていかなきゃいけないところ)ばかりが、明るみになりにくい。認識しづらいというか、うまく隠されて/ごまかされたまま、話が進んでいってしまっているように感じる。

でも、このまま「重要なこと」や「誰かにとって都合の悪い部分」を隠して、あるいは、問題をすり替えて、話し合い自体から逃げ、拒否してしまったら、議論は全く前には進まないし、問題は先送りにされるばかりで、解決からはどんどん遠のいてしまうのではないでしょうか*5

私は、仮にも科学者として、そこから逃げたくない。

 

なので、ここで、私の意見を述べて終わりたいと思います。

私は、火力でも原子力でもなく、再生可能エネルギーのプラントを作り、持続可能なエネルギー開発をすることに消極的賛成をしてします。確かに、環境は確実に破壊され、生き物は住み家を追われ、やがて死にます。それは感情としてとてつもなく辛いことですし、自然災害の多い国で再生可能エネルギーを維持するのは高コストで決して簡単な選択ではありませんが、私には他に採算の取り得るエネルギー獲得手段を知りません。プラントの開発時には、化石燃料の使用を容認する形になるのだと思います。

ちなみにこのエネルギー問題は、化石燃料が枯渇した(掘削コストに対して採算が合わなくなった)時点で、大きな転換点を迎えると予測します。

科学者としてできることがあるとすれば、プラントを作る前の生態系、環境データを、できうる限り収集・蓄積しておくこと、そして、構造物を作った後に、その建設がどの程度環境に影響を与えてしまったのかを、客観的に記載し、記録し、後世に残すことだと思います。エゴにまみれた人類が、いかに愚かで、何をしでかしたのかを、後世に伝え、反面教師にしてもらうことが、唯一私にできることです。

「結局文明やエネルギーを捨てられないのかよw」「口だけじゃんw」と、誰かに思われてしまうのかも知れませんが、それは私自身も「綺麗事を並べながら、結局は環境を破壊する片棒を担いでいるのか」と思い、非常に苦しく思っています。自分の中の正義と、エゴの中で、心が抉られるような思いでこの記事を書いていました。ですが、そんな思いをしてでもこの記事を書きたかった理由は、あまりにも本質とずれた内容の議論をしていたり、表面的な部分しか見られていない人が多かったからです。

 

以上が、地球温暖化・エネルギー問題に関する現時点での私見です。他に良いアイデアがあったら、積極的に取り入れると思います。私はこれからも、自分にできることを探して、実践していく心づもりでいます。

あなたは、どういう考えですか?

ぜひ、考えを聞かせてもらえたら、とても嬉しいです。

 

*1:私は当初、彼の具体性に欠ける言動を強く批難していましたが、考えれば考えるほど「彼は、言える範囲のことだけしか、言ってないんだな」という風に思えてきたのです。本当かどうかは、全く責任取れません。

*2:そもそも日本のような環太平洋造山帯において原子力発電所を建設するというのも、なかなかリスクの大きい話のような気もするのだが、地球の将来やエネルギー問題のことを考えて受け入れてくれていた自治体には、感謝しかない

*3:化石燃料はあと●年でなくなる!」という話が、確か私が小学生くらいの頃から既にあったような気がするのだが、掘削技術や精製技術が向上していて、なかなかなくならない。けど、掘削にかけるコストに対して、得られるエネルギー量は確実に減りつつあり(=たくさんコストを割いても、あまりエネルギーが得られなくなっている)、着実に資源は無くなりつつある

*4:もし知っている人がいたら教えて下さい。

*5:たとえば「地球温暖化はそもそも起こっていない」とか言っちゃったりね。