箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

ヒカリの外側

ヒカリの外側で

私には、これまでの29年間、紆余曲折ありながらも、まあそれなりに、強く生き延びてきたんじゃないの?という自負が、それなりにはある。

でも、気がつけば、周りの友達たちはみんな、次なるステージへと、順調に歩みを進めているように感じてしまうことが、かなりある。あの子は仕事で活躍していてカッコイイ。あの子は結婚したみたい。あの子なんて、知らない間に親になってた!すごい!!!って。

そういうのを見たり、聞いたりすると、とってもまぶしく、輝いて見えるんですよね。なんていうか、その若さで、よく成し遂げたよねと。よく決断できたね、覚悟できたね、と、思うんですよ。だから私はそういう時に「すごい!おめでとう!!!」って割と心の底から言えている、と思うのだ。

でも、それとは対照的に、それら(仕事・恋愛・結婚)を未だ成し遂げられていない、そういう決断ができなかった自分だけが、私だけが、光の外側にいて、輝かしい世界から切り離され、取り残されてしまっているような感覚になることが増えてきたんです。

彼らのことを「ずるい」とは全く思わないけど「オォいいな、うらやましいな〜」から「その一方で私は全然ダメだな…」って、一気に論理が飛躍していってしまうのだ。

 

一体全体、どうしてそんな気持ちになってしまうんだろうね。

これは「彼らは」持っているのに、「私は」持てていない、という焦りなのか。

 

でも多分、私だって、彼らにないモノを、きっと持っているだろう。

いや、たとえ今は持っていなかったとしても「未来永劫得られません!」って約束されたわけでもない。ポジティブに言えば、たぶん「得る順番が違うだけ」だし、更に言えば、私たちは「仕事に結婚に子育てに、自由に選べるようになった」からと言って、みんながみんな「全て」を手に入れる必要もないわけだ。

ここまでわかっているのにもかかわらず、私は時折、猛烈に焦ることがある。

 

焦るだけなら、まだマシな方で、ひどい時には「私はどこで道をそれてしまったんだろう」「何がいけなかったんだろう」「どうすればよかったんだろう」と、原因探しをして、ウジウジしてしまう。

原因探しなんて不毛ってことはよくわかっているのに、それでも、まだ来るかもわからない、この先の苦労や、孤独を、憂いてしまうことがある。

 

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多かれ少なかれ、皆、当事者にしかわからない孤独や苦悩を抱えている。

たとえそうだとわかっていても、私たちは、私は、なぜか他人と比較することをやめられない。闇だって、幸せだって、他者と単純に比較することなんてできないって、頭ではわかっているのに。

ヒトの習性なのか、個人の性質の問題なのか、私の認知の問題なのか、それとも常に他人との比較を強いられてきた教育の問題なのか。

 

もしも、常に「自分の成功」や「良い部分」だけを、見ていられたら。

自分だけにスポットライトを当てて「外側なんて気にしない!」って、開き直ることができたなら。

「あの人に比べて私は」なんて、考えなくてすむんじゃないか。

みんなの苦しみの総量が減るんじゃないか。

なぜ人は、わざわざ自分の外側に目を向けて、光を当てようとして、ストレスを受けにいってしまうんだろうか。

 

行動に伴う「責任」?

昔から「やりたいことをやる自分」でありたくて、それを行動指針にしていた。人生の局面では、他人の意見よりも何よりも自分の意思を尊重して、いろんな決断をしてきた(と思う)。

でもいざ選んでみたら、今度は「足らないものばかり」が、目に付くようになってしまった。

今の自分が持っているモノや環境のものありがたみも、十分にわかっているはずなのに、「持てていないもの」の存在が、自分にコンプレックスを猛烈に押しつけてくる。

それは、あなたが選ばなかったからでしょ?

って、責められているみたいな気持ちになる。

 

ちゃんと、自分で選んだのに。

ひとつひとつ、考え抜いて、やっとの思いで決めてきたのに。 

 

この苦しみを背負うことが、私がした「選択」に対してとるべき「責任」だったのならば。

だったらいっそのこと、何一つ自分で決めない人生の方が、気が楽だったんじゃないのか?

全てを世の中の潮流に合わせ、身の回りで起きた全てのことを、常に「誰か」や「何か」のせいにできたら、どんなに楽だったろうか。そう思ってしまうこともある。

でも、そうなったらそうなったで、多分私は「どうして自分でで選んでこなかったんだろう」と、悩んでしまうのだろうけどさ。

 

この「責任」の重圧や、焦りや孤独、不安は、いつか私が、自分のやっていることに自信を持てるようになったら、薄れていくものなのだろうか。

あるいは、側に寄り添ってくれる「誰か」がいたら、救われるものなのだろうか。

それとも、自分で救うしかないのだろうか。

 

みんな、どうやってここから抜け出したのかな。

かっこわるいけど、まだしばらくは、もがきながら続けていくしかないのだろうな。