本日午後は若手研究者として弊大学総長と意見交換ができるらしいので行ってこようと思うのですが、果たしてどんな意見を交換できるんだろうか。ドキドキする〜!
— ザワさん (@zawasn) 2018年6月21日
私の勤める大学で、本日、大学総長と若手教員が意見交換をできる場が設けられたので、その会に参加してきました。その場で伝えられたこと、会の中で私が考えたことを(殴り書きしたメモを元に)ざっくりと書き起こしておこうと思います。
なお、もし同じ会に参加していて「アレはそういう意図ではなかったと思うよ」等、何か指摘がありましたらお知らせいただけるととても助かります!
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意見交換会で話されたこと
若手教員を取り巻く現状
会の中で、若手教員を取り巻く現状として、以下の3つが提示された。
- 人材不足
「安定した雇用が少ない」「キャリアパスが不明瞭である」ことによって、せっかく優秀な学生がいても、研究職という道を選ぶ人が減ってしまっている。 - 時間不足
業務等に割く時間が多く、研究に集中できない。 - 研究資金不足
国から配分される研究予算は削られるばかりであり、長期的、あるいは革新的な研究に手を出しにくく、短期的な(すぐ成果が得られるような)研究ばかりになってしまう。
それに対する大学の方針(と、総長の考え)
その中で、大学の方針としては
- 多様な財源で雇用を確保できるようにする
クロスアポイントメントの推進や、研究力のある人々(シニアなど?)は自分で自分を外部資金等(競争的資金や民間の助成金などで)で雇えるように、若手は安定財源(国からのお金等)で雇えるような仕組みにしていきたい。 - 教員の業績評価の基準を見直す
きちんと研究している(業績・実績がある)人が評価される仕組みをつくる。逆に、しっかり働いていない人は、BにでもCにでもする(現在見直しがはかられているらしい)。 - 若手教員との意見交換を積極的に行い、現状を把握していく
という話だった。
それに加えて、総長からは
- もう国からのお金が増えることはない(減る一方である)
- 流動的な雇用、競争は悪いことばかりではない(切磋琢磨しあえる)し、欧米ではそれが普通である
- 今後は、自分で自分(研究費や研究室、雇用も?)をマネジメントしていく力が必要になる
- 研究だけしたい人は、大学にいるべきではない(人を教育するには大きなパワーが必要。研究も教育もどちらも完璧にっていうのは難しい)
- 大変だと思うけど、挑戦する気概を持ち続けて頑張って!!!
とのことであった。
それらを踏まえてあれこれ考えたこと
ここからは単なる感想です。一人で勝手に考えていることなので、読んでいる皆様で何か思うことがございましたら、ぜひコメントいただけたら、議論ができるのでとても嬉しいです。
人材はむしろ「余って」いる?
問題点として「人材不足」が掲げられていたが、ポストにありつけずあふれてしまっている人がたくさんいるという現状から考えると、どうも私には、人材は「不足」しているというよりむしろ「余って」いるように見える。もしその言葉の真意が、研究職の「職業としての不安定さ・キャリアパスの不明瞭さ」に対して、幾ばくかずつでも良いから改善していかないと「これからのアカデミズムが先細りしてしまう=将来の日本のサイエンスを担う人間が減る」という意味での「人材不足」であるならば、納得である。
でも私は「将来」のサイエンスを心配するよりも、「今」のサイエンスを盛り上げる努力をしていかないと、その先の未来なんてこないんじゃないかと思う。私たちはまさに「今」、それ成し遂げる気で研究をしているのだから、精一杯頑張るから、やっぱり、ポストが欲しい。
もちろん次世代のことも考えなくてはいけないし、それはとても大切なことだけれど、でも当事者である現役世代の我々こそが、解決するべき「今」の課題に主体的に取り組んで、良きロールモデルを作って次の世代に示していかないことには、何も始まらないのではなかろうか。
次世代の「優秀な人」には、こんな苦労をすることなく、安心して、業界でのびのびと研究して活躍していってほしい。そのためには、不遇の時代は、我々の時代までで食い止めなくてはならないと、強く感じます。
また、将来直面するであろう「人材不足」に関して言うなら、
「優秀な人材」というのは、多くの場合、良い環境で、質の良い教育を受けて、はじめて、芽が出てくるものだと私は思います。そして「良い研究」というのも、比較的、そういう安定した環境から生まれ、育ちやすいのではないかと思います。なので「人材不足」に対する解決策としては、ただ単に進学する学生を増やすだけに終わらせず、どのようにすれば、質の良い教育・研究環境を提供できるのか、という視点を持って、教員それぞれが試行錯誤していく必要があるかなと、感じています。
切磋琢磨は重要だけど、みんな明日のご飯が食べたいの(涙)
「競争」が自己研鑽につながるというのは、良く理解できる(ライバルがいた方が、燃えたりするし)。でもそれは「この努力を続ければ、将来的に何か良いことがある」と、何となく成功イメージを具体的に持てる時に限られるんじゃないかと思う(例えば、部活動であるライバルがいたとして、その中で不断の努力が続けられるのは「自分が相手の力を上回れば、勝利することができる」という成功のイメージが湧くからである)。
研究業界にいて、そのイメージを描けるとすれば、おそらくそれは、ある程度「自分の仕事に自信が持てるようになった段階から」だと思うんだ。
だって、明日のご飯(雇用)があるかどうかというギリギリな中で、更に「過度な競争」にもまれたら、焦燥感で精神は疲弊するだろうし、余裕が無くなって視野も狭くなりそうだし、どんどん良い研究がしにくい状況になって、気持ちも研究力も落ちていってしまうんじゃないかなって思います。そして(多分ですけど)、これについては日本の若手に限った話じゃなくて、欧米の若手だって、同じ問題を抱えているんじゃないかと思う。だから「欧米もそうだから、我々もそれにならう」という考えだとしたら、それはちょっと違うような気がしてならない。
一方で、国(世界)全体でお金がなくなってきていて、人を雇う・研究をするための財源が限られているというのも、よくわかる。
ちゃんと努力した人が、適切な評価を下されて、その結果ずっと仕事が続けられる、そういう世界になって欲しいだけなんだけどな。生きるって大変だ。
大学は企業の下請けじゃないゾ〜
今回は若手教員向けだったので、教育よりも研究にフォーカスした内容だったのかもしれないのだけど、会の中では、産官学連携の研究や、民間の外部資金を獲得することを強く勧めているように聞こえました(私にはそう思えたのだけれど、どうだろう)、そうすればお金もたくさん配分されると。
でも、個人的には、企業(とそこのお金)が絡んだ研究って、ちょっとネガティブな印象があって。
以前、とあるスポンサーがついたプロジェクトの中で研究をしたのですが、当時私が出したデータが、そのプロジェクトの趣旨そぐわなかったことがありました。そして発表日の前々日になって、突然「これは発表しないで欲しい」との旨を伝えられました。せっかくそれなりの時間を投資し、試料を処理して測定して、データの整理も議論もして、準備までしていたのに、私の意向は関係無しに、発表する権利を奪われたのでした。
もしこの研究が「学生が丸3年かけて進めたテーマ」だったら?あるいは、ものすごく良い結果(莫大なお金が生まれるような成果)が出て、突然「第一著者(あるいは特許主)はうちの企業に」と、なってしまったら???
幸い、その時のテーマはお手伝い程度で進めていただけだったので、業績等に大きな支障は出ませんでしたが、そうなってしまった時のことを思うと、結構気分が落ち込みます。
もちろん「成果が出た時はどうするか」ということは、研究がスタートする前に企業側と取り決めておけば済む話かも知れませんが、自分がその研究の「責任者になれない」とか、「データの所有権を持てない」(かも知れない)という状況は、あまり心穏やかなものではない(と、個人的には思う)し、何かとトラブルの元になりそうなので、注意が必要だろうな、という気持ちがあります。
希望を言えば、やっぱり大学がきちんと研究の主権を握って、企業側に「御研究室に寄付させて下さい!」と言ってもらえるくらいの研究力を付けたいところだなと思いますね。一体どうすれば達成できるのだろうか。
あと、今回の議題とはそれるけど、プロジェクト型の研究はその性質上「得られた結果に対して自由に発想する」という機会が奪われがちなので、そういう研究に取り組む学生は、その点十分に気をつけた方がいいなって思います(経験談)。
教育のためのお金はどう確保するの?
競争的資金や民間の助成金、産官学連携で得られる資金というのは、確かに研究費を確保するための選択肢としては重要そうに見える。私だって、取れるものなら継続的に獲得していきたい気持ちでいっぱいだ。
では、大学として、教育のお金は、どのように捻出するべきなんだろうか。
大学は国の研究機関であると同時に、高等教育機関でもある。その一方で、国から貰える「教育のために使って良いお金(運営交付金や教育経費)」の分配は常に減り続けていて、これからそれが増えるという見込みは一切ないらしい。具体的には、現状で、学生ひとりあたりに対して付くお金(教育経費)は、たった10万円前後でしかなくて、この額というのは国内学会の参加費や、論文一本の掲載料に足りるか足りないかという程度で、1年間「満足のいく教育活動」をおこなうには、どう考えても不十分である(全く貰えないよりは、貰えた方が良いのだけど)。
国からのお金の分配に期待できない以上、企業に頼らざるを得ないというのは、至極全うな考え方にも見えます。けれど、それって、もし企業からお金がもらえなくなったら、大学では研究も教育も全てストップしてしまうってことですよね???
果たして、それでよいのでしょうか。
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研究のお金、人を雇うお金、教育のお金。
お金が限られている中で「無い袖は振れない」という現状があるのも理解していますが、今後日本でサイエンスを続けていくことを願うなら、なんとしても、研究も、雇用も、教育も維持していけるような、持続可能なシステムを構築していくより他ありません。
そのために、今の私たちに何が出来るのか?どんな提案ができるのか?
真剣に、主体的に考えていく必要があると思いました。
以上です。