箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

【参加報告】IMOG2019

ざわこです〜、こんにちは。

2019年も終わりが見えてきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

私は9月の上旬(およそ3ヶ月前!)に、某学会に参加するためにスウェーデンヨーテボリに行ってきました。本当はもっと早く記事を公開したかったのですが、時間がなさすぎて死んでました。ようやく蘇生し始めたところで、脳内メモリを解放するために執筆しています。

そんなわけで、旬は過ぎてしまったけれど、参加していて気になったことなどを個人的備忘録として書き留めておこうかなと思います。

 

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学会会場(写真右の近代的建造物)と、ヨーテボリの街並み。

個人的に気になったこと

学会:研究テーマの諸行無常?盛者必衰?

私たちが属する業界に限った話なのか、他の業界にも共通しているのかわからないのですが・・・なんというか、研究テーマが移ろいゆく様を間近に見たように感じました。

数〜十数年おきに、誰かが生み出して(発見して)くる何らかの「奇抜なアイデア」または「重要な技術」を基にした、ひとつの大きな研究テーマが生まれると、多くの研究者がその潮流に乗って関連する研究をおこなう。

そうすると、ものすごい初速をもっていろいろなことがわかっていくけれど(そういうとき、大体はマンパワーのある国や組織が強い)、10年くらい経つと、サイエンス的に面白い多くの部分はやり尽くされ、勢いを失っていき、業界全体が「うむ、じゃあ次はどうしようか?」というのに悩んでいる、そういう局面を迎えているんじゃないか…と思ってしまうような雰囲気を感じました。 

 

自分:伸び悩み期の到来?

幸いなことに、私のこの学会での口頭発表は2年ぶり2回目となったわけですが。実際に終えてみて、私は、2ヶ月経った今でもかなりモヤっています。

(1回目の様子は、コレです) 

tkzwy.hateblo.jp

自分で言うのもアレなんですけども、英語での発表も、議論も、まあいまだにパニクってしまうこともかなりあるんですけど、それでも、2年前(学生当時)と比べたら、だいぶマシになったと思うんですよ。

なぜそう思えるかと言うとですね、いろんな人に「どうでしたか?私の発表」って聞くと、大体の人に「上手だった」って、言ってもらえるからです。

いや〜、これは嬉しい。確かに嬉しいことなんですよ。

だって、私自身が一番にコンプレックスを持ってた「英語」で発表をして、(原稿をチラ見しながらだったとしても)世界を舞台に活躍している研究者のみなさんに「上手だった」って言ってもらえたのですから。喜ばないはずがないじゃないですか。

 

でもね。でもなんですよ。

プレゼンの「スキル」が上がるのは、経験を積んでいたら当然じゃないのか?とも、思うわけです。

だって、頑張って頑張って頑張って練習して、それなりの場数を踏んで、前回よりも今回、今回よりも次回、上手にできるようにならなきゃ、やってられなくない?メンタル持たなくない?アー私には向いてないんだろうな〜って、諦めたくなっちゃうじゃないですか。

 

更に言うと。私が何に一番モヤっているかというと、

感想の第一声として「(サイエンス的に)おもしろかったよ!」と、言ってもらえないような発表をしてしまった、という事実なんですよ。

贅沢を言いすぎ(?)なのかも知れないのですが、それでも私は私で、数もそんなに多くない手札(研究のネタ)の中で、練りに練って、珠玉のネタを、きっとみんなに「これはおもしろい!」と思ってもらえるネタを、何十時間もかけて、ストーリー(発表構成)を考えて、スライド作って、笑いのネタを仕込んで、準備して、練習して、しかもそれを、しかるべきタイミングで、それこそ、それなりに「上手に」、ぶちかましたわけですよ。

私はパフォーマーとしてでなく、サイエンティストとしてその場に立っていたはずなのに、それなのに「科学的な興味や面白さ」よりも「上手さ」の方が、際立っていたとすれば、それってサイエンティストとして何らかの敗北を意味するだろうと、私は思うのです。

 

まあ、そもそも論として、発表のヘタウマの定義が曖昧だから、議論するのが難しいのですけれども、

でももし「科学的な興味や面白さ」と「発表の上手さ」とが、両立しうるものだとしたら、科学的な興味や面白さを伝えられない人間って、今後、研究者として生存できないのでは?と思ってしまうのです。

 

いや、実際には、しばらくのうちは、生存できるんだと思うんです。多分。

それは例えば、私のようなヒヨッコが発表する時って、大体は聴衆の方が「うわて(その分野の背景を熟知していることが多い)」なので、その「科学的な面白さ」に聴衆側が勝手に気付いて、脳内補完してくださることも多いと思われるからです。

でももし、自分が、それこそ冒頭で述べたような「分野を開拓しうるような良い研究」ができた時に、そのおもしろさを自分の力で伝えられないって、結構ヤバくない?と、思ってしまうのです。なんというか、ヤバいっていうよりも多分、自分、きっと、ものすごく、悔しい気持ちを味わうことになるのでは?と思えてならないわけです。

 

だって、アレだよね、後々になってその重要性や価値が指摘され出す、みたいなパターンなわけですよね。まあでも、自分がやったことの科学的な面白さを理解してもらえるのは、たとえ生きてるうちだろうと、死んだあとだろうと、まあ・・・うん、それはそれで喜ばしいことなのかもしれないけれども、できれば生きているうちに、誰かに共感して欲しい。というか伝えたい。死んでから引用数が増えて20000とかになったとしても、私その時には死んでてよくわかんないし、第一、そんなことになる前に、自分の研究の良さをきちんと伝えられない人間は、遅かれ早かれ研究職を離れるハメになっているんじゃないの?ということを、猛烈に危惧しているわけです。

私は一体何をどうすればいいのだろうか。

 

その他:PIって、過酷すぎん?

まあいろいろと思うところはありますが(雑にまとめ出す)、こういう国際学会での経験って、特に学生や、若手にとっては、大きな学びのチャンスですよね。

例えば、サイエンスの世界における日本の、あるいは自分の研究の立ち位置を俯瞰してみたりだとか、たとえ短期間だったとしても自国の人間以外が作り出した社会や文化、歩んできた歴史に触れてみるとか、視野を広げたり教養を身につけたりする上で、国際学会への参加というイベントは重要な役割を果たしていると思うんです。

だから、科学的な観点からも、教育的な観点からも、国際学会って、若いうちから可能な限り参加できたらいいんじゃないかと思うんです。

・・・なんですけど、国際学会への参加を計画したとき、まずお金の工面が本当に本当ーに、大変だなあ、ということを、今回痛感しましたね。

大学を例にすると、運営交付金というお金に加えて、指導学生に対しては「教育経費」というお金が多少つくのですが、国際学会(特に欧米開催)に参加するのに必要な経費には到底及ばないので、不足する分は、何らかの手段で調達するしかない、というのが現状です。

 

更に言えば、やっぱり注目しているわけですよ、世界が。「お、奴らのグループは、今どんな研究をやってるんだろう、何に注目しているんだろう」「どんなネタをぶちこんでくるんだろう」って。言わば「次の時代の研究の起爆剤となりうるアイデア」を、目をギラギラさせながら、みんなで探しているわけです。つまり国際学会は、それぞれの国にとって、研究力を示すための、絶好のチャンスでもあるわけですし、素晴らしい研究を発表できれば、イニシアチブを得ることだってできるわけです。

そういうものに対して、大学教員は大学の業務をしながら、研究所職員は研究所の業務をしながら参加しているわけですよね。面白い研究テーマも、探し続けているわけですよね。

 

私はまだ(それこそヒヨッコ的な立ち位置で)研究しているだけですけど、PI(Principal Investigator:研究室主宰者)とかになったら、更にここにラボのマネジメント(学生がいればその教育的指導)が加わってくるわけですよね。

今の私にとっては、自分で自分の研究活動をおこなうことで精一杯なのに、私は、彼らがなんで過労死しないかが不思議で仕方がない。

ひょっとしたら、世の中的には「早く自分の研究室を持つこと(=PIになること)」が、理想とされるキャリアステップなのかも知れないけど、申し訳ないけど全然そう思える要素が私にはない。世の大学の先生たちが、小講座制を維持し続けられているのかも、もう全然意味がわかんない。すごすぎる。今の私には絶対にできない。

私見を言って許されるならば、できる限り自分の力である程度研究を遂行する能力を確立できるようになるまでは、研究や教育に責任が取れるような力を身につけるまでは、誰か、あるいは環境、コミュニティに見守られながら育ちたいよ。これは甘えなのか?

まあ、甘えと言われても仕方がないけど、本当はこう思っている人、それなりにいるんじゃないの?って思う。

 

おまけ:チームアジアの奮闘とミートボール。

さて、出発前にこんな記事を書いていましたが。 

tkzwy.hateblo.jp

 

「こんなこと言ってて、結局どうなったん?」という声は、あの、特に誰からも聞かれてはいないですけれども笑、みんな、やるべきことをやったし、現時点でのベストはきちんと尽くしてきたということを、ここで改めて報告しておきます。

それぞれが持ってるアイデアや結果を世界に知らしめられるかどうかは、今後の私たち自身にかかっているんだなあと、思います。でもこの研究が、科学に対してどのくらい貢献する/したのかを判断するのは多分、私たちではなく、後世の人間だと思うので、これに関してはどうすることもできません。

でも、伝わったらとても嬉しいなって思います。

研究室って結構流動的で、一人の人がずっと同じところに留まり続けることの方が珍しいんですよね(特に、若いメンバーは)。今回、一緒に奮闘して、その健闘を讃え合った同志たちが、今後また同じ研究室に集まるということは起こり得ないんだとおもうけど。でもね。これから先、また世界のどこかで会った時に「最近どう?今は何に注目してるの?今回はどんなネタをぶちこんでくるつもり??」っていう会話を交わせるように、「それは私の発表まで教えられないな〜?笑」って笑いながら余裕で言えるように、私も頑張らなきゃなって、思っています。

やだ、書いてて涙が出てきちゃう。笑

 

誰かが異動したり、卒業したりというのは、30年近く生きてきて未だに慣れないけど、生きている限り交流が続けられるっていうのは、現代社会の強みだよね。

文明に感謝しないといけないなあ。

 

ちなみに全然関係ないんですけど、スウェーデン滞在中は、ほぼ毎日、郷土料理のミートボールを食べていました。これはアレですね、4日目くらいで飽きますね。滞在後半では「もうミートボールもマッシュポテトもいらない!!!」って言って、ヨーロッパにいながら中華料理やさんに行ってました。アジア人はやっぱり米がソウルフードなんだなって思いました。

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ミートボール。ものすごい肉密度で食べ応えがある。マッシュポテトはどんな料理にもついていて、我々でいう白飯のような存在みたい。右下の赤い丸いやつは、甘酸っぱい木の実のようなもので、好みが分かれる。

 

おまけ2:少なすぎる!ヨーテボリ情報

出発前に、秘書さんを含むラボメンバー総出でヨーテボリ情報をかき集めたのですが・・・英語でも、日本語でも、中国語でも、韓国語でも(4言語で探したのに!)かなり情報が少なくて驚きました。結局行き当たりばったり的な感じでやり過ごしました。

観光地としてはマイナーのようでしたが(やっぱりみんなストックホルムに行きたいのかな?)、街並みも素敵でとても良かったので、機会があったらブログにまとめておきたいな〜と思います。

 

以上、IMOG参加報告記でした!!!

おしまい