箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

満30歳になりました(感想)

こんにちは、ざわです。

先日、誕生日を迎えましてですね。なんとか30歳まで生き残ることに成功しました。お祝いの言葉をくださった皆様には、改めて御礼を申し上げます。

満30歳。三十路。ジャスサー・・・いろんな表現がありますが、とにかく自分がこの世に生を受けてから31年目に突入しました。

例年だったら「三十路ウェーイ!これからもよろしくお願いします!今年の目標はコレで!」みたいなノリでブログを更新するのだと思うのですが、社会情勢も影響してか、なんだかそういう文体で何かを書く気になれない(というか書けない・・・)ので、ニュートラルな感じでいこうと思います。

 

「満30歳になった実感」とは?

端的に言うと、そんな実感はありませんでした。

いやでもね、有り難いことに、家族・友人・ラボメイツにリモートお祝いもしてもらったのですよ。なんだけど、やっぱり未だによくわからないね。なんだろうね、「30歳になった実感」なんて、みんなにはあるのかな?ただ世の中の多くが10進法で動いているから、区切りのように感じる人が多いだけなのではないか?

だって、昨日の私も今日の私もおんなじ私だし、30歳になったからといって、突然悩みごとが消えたり、お金が湧いて出てきたりするわけじゃないじゃないですか(10万円の申請書はそろそろ届くかも知れないけど)。

 

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祝ってくれたラボメイツin東アジア。ありがとう!

 

ただね、「歳を重ねたという事実」を、全く実感できないのか?と聞かれたら、そんなこともない、ような気がする。

というのも、私に物心がついた(私の記憶が始まった)ところから大人になるまで(特に10〜20代)の間、どうにも「一般的な世間の感覚を理解しつつも、それにイマイチ共感できない、迎合できない私」みたいな自我をうっすら持ちながら生きてきたんですね(例えば、恋愛・結婚観、仕事観、人生観など・・・あらゆる価値観について)。

自分と比べて、なんとなく生きやすそうに見えてしまう「みんな」に、私も一緒に溶け込んでしまいたいと思う一方で、「みんな」に「溶け込んで」しまうことに対する、得も言われぬ恐怖心のようなものもあって、どうするべきかわからず、しばらくずっと、ユラユラ、フワフワとしていたように思う。

なんですけど、20代後半にもなると、その「迎合できない自分」の存在というのが、無視できなくなってくる、というか、より確固たるものになっていきましたね。アイデンティティの輪郭がつかめるようになればなるほど、「みんな」とかけ離れていくことに孤独を感じることもたくさんあった(今もある)けれど、それでも少しずつ、ああ自分はこういう人間なんだろうなあって、そういうのがなんとなくわかるし、ある程度、客観的に説明できるようになってきた感じがある。

そして多分、自分の感情や感性を自覚し始めたこういう時に、それを見て見ぬ振りをしたり、無理して合わせようとしたりすると、人間は多分、闇落ちしちゃうんだと思うのですが・・・私は闇落ちしたくないし、いつか死ぬときには後悔少なめで死にたいので、もう「そういう自分」を受け入れる、ように勤めることにしましたね。

なんかもう、みんなちがって、みんないいじゃんって。

さらに言えば、この世界にそもそも「みんな」なんていう集合体が存在するのか?という問題提起をしたい気持ちさえある。「みんな」とは?「世間体」とは一体何なんだ?誰が生み出したのか?

今まで私は「みんな」という存在にかなり悩まされてきた気がするけど、あれこれいちいち、得体の知れない「みんな」と比較して、優越感や劣等感を抱く必要なんてなくない?と。だって、比較対象となりうる「ヒト」は世界に70億人以上いるし、それぞれ生まれ育った環境も全然違うわけだし、それぞれ得手不得手もあるわけだし。さらに対象を「生命体」まで広げればそれはもう本当に数え切れないぐらいいるわけだし。

私は世界をそんな雑な解像度でしか見えていないくせに、いちいち小っさい自分の物差しで測って比べ続けて、一喜一憂する人生、不毛だし、アホくさいな?って、突然思うようになったんですね。

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みんなちがってあたりまえ〜!(撮影:同僚)

そうは言いつつも、今でもそこそこ頻繁に「みんな」になりたかった気がしてメソメソしてしまう夜もあるけれど、とにかく一度「そういう人間なんだな〜」って認めて(腑に落ちて)しまってからは、精神的には結構楽になりましたね。なんというか、HUNTER×HUNTERの「念」能力みたいに、なんか知らんけど自分にインストールされている機能がこれだった、みたいな感覚でいると良いのかもって。ちなみに私は「きっと私は特質系なのね〜!」と思って、クロロやクラピカに思いを馳せながら、士気を高めています。「盗賊の極意(スキルハンター)」とか使ってみたいなあ・・・

まあ念能力はいいとしても、性格については、開き直った(弱さを含めて全て認めてしまう)方が生きやすいんだろうな〜、と実感・確信を持てたのは、歳を取ったからこそかも知れないですね。あとは、何事にも通じてきますが「負える範囲の責任しか負わないようにする」というのがとても大切と思いますね、でないと無責任になってしまうからね。あとは「他者からの期待」に応えるかどうかも、自分に決定権があるということを、忘れてはいけないですね。そして「他人のため」だけに生きてしまわないこと、「自分の気持ち」にウソをつかないこと、自分の信じる価値観とは異なる価値観が存在することを認めること・・・これらが、30年生きてきて導き出した、生きやすさに通ずるいくつかの答えですね。

可能な限りで美しく言えば「30歳という年齢自体に大した意味は無いけれど、生きてきた歳月には何らかの意味はある」といったところかなあ。

誰かの参考になったらいいけど、別にならなくてもいいのです。 とりあえず私はこんな感じで、喜んだり怒ったり、メソメソしたり楽しんだりしながらこれからも生きていくような気がします。

 

30歳、そして30代、どう生きる?

どこかで話した気がしたので探したら、年末年始の投稿でもう書いていました。

何かしらの、人生のテーマとか、進みたい方向性とか、そういうのが定まってくるのが30代なんじゃないかなあ、って感じているんですよね。 時代の流れとか、世の中の意見とか、いろいろな考え方や価値観が無数にあって、生き方を自分で選択できるようになった時代だからこそ、私自身はどんな人生を歩みたいのかな?長いようで短い次の10年を、どうやって過ごそうかな?っていうのを、じっくり考えないと・・・いや、考えながら行動していくのがいいかなって、思っています。未来って、今日の延長線上にあるものだしさ。やっぱりできる限りは悔いなく生きていきたいじゃない?

行く2019年と来る2020年の話 - 箸はともかく棒にはひっかかりたい

もうこれ以外に思うことは無いので、こういうことを視野に入れながら、手探りで生きていくんだろうなという感じです。

ここだけの話なんですが、実はあと一ヶ月で2020年が半分終わってしまうらしいですよ。そう考えると、焦りの気持ちが芽生えてきますよね。でも、3月と4月と5月は、世界中で予期せぬアクシデントがあったので、ある意味では、計画の変更・軌道修正を強いられてて歩みが遅れてしまうというのは、全世界で共通して起こっている致し方ない事態ではあるかも知れないですね。*1

と、いうよりも、そもそも今後生きてく中で「アクシデントに見舞われない時」なんて、さては存在し得ないのでは?となると、アクシデントありきで人生計画を立てる必要があるのではないか?と、考える機会が最近特に増えましたね。ややネガティブな発想なのかも知れないけども、いざというときのための余白や余裕は、やっぱり確保しておきたいしさ。リスクマネジメントみたいなところではあるかも知れない。

 

ちなみに人生計画的には、この先10年で、結婚したり出産したりのライフイベントが起こって欲しいな〜、と、薄らぼんやり期待していますが、一体どうなるかはわかりません。まず「相手」が必要なものですし、その時その時で、人生の優先事項を考えて決断していきたいです。仕事も2年後に審査があります。落ちたらクビ・・・クビなわけだけど・・・たとえクビになっても後悔しないように「やるだけのことはやったぞ!」と言えるような働きが、できたらいいなあ。

はやく、堂々と職場に行ける日がやってきますように。家にWi-Fiも導入されて、リモートワークに何ら不便はないのだけど、私は職場で仕事がしたい派なのだとやってみて気が付きました(家だと遊びたくなっちゃうから)。

 

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ケーキ。おいしかった!

 

ちなみに、先日は私の祖父も誕生日だったので(御年94になりました)、「おめでとう」ということと「三十路になる」ということを祖父に報告したら

30ならまだ何だってできるよ

と、心強い言葉を戴きました。94歳の言葉は、重みが違うな・・・

というわけで、私はおじいちゃんの言葉を信じたい。

だからこれから先、仕事にしろ生活にしろ、何かやってみたいことを見つけたら「とりあえず一回やってみるか〜!」と思えるような、好奇心のアンテナを維持できる程度の精神的余裕は、常に確保しておけるように人生を設計していきたいなと思いました。


 

予期せぬプレゼントたち

そうそう、大変ありがたいことに各方面から誕生日プレゼントを頂戴致しました。1年に365日もある中で、私の誕生日をふと思い出してもらえただけでも有り難いのに、物品までいただけるとは・・・全く予期していませんでした。本当に本当にありがとうございます!

更にですね、なんというか、チョイスが最高of最高というか、ツボofツボみたいな感じでして・・・友人達の観察眼に恐れ慄くと共に、ただ単純に、めちゃめちゃ嬉しかったので、自慢した〜い!!!

ということで、勝手ながら紹介させていただきます〜!

 

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右から、最強にかわいいカービィのお菓子と、最高すぎる図鑑と、ついでに最愛のくまきち。みんなありがと!

最強にかわいいカービィのお菓子:もったいなくて開けてすらいないのですが、カービィの形(まるくてピンク)の最中に、缶詰に入っているあんこを挟んで食べるタイプの和菓子をいただきました。以前どこかで見かけて「かっ、がわいいっっっ!!!感涙」と思って以来、その記憶は忘却の彼方にあったのですが、届いたものを見て、めちゃめちゃびっくりしました。美味しい緑茶と共に楽しみたいので、今度ポットを買おうと思います(そこから?)。ありがとうございます!

最高すぎる図鑑スミソニアン協会監修という激アツのでかい百科図鑑をいただきました。全ページフルカラー・写真たくさんで、三角形の面積の求め方から冷戦時代の世界情勢に至るまであらゆる情報が網羅されている。私に欠落している「教養」というものが身につきそうな予感がしているし、「でかい図鑑」というのはいつだってテンションがブチあがる。ありがとうございます!

ちなみに届いた時、誰が発送してくれたのか情報が明記されておらず「もしや新手の詐欺(しかも対象がめちゃめちゃニッチ)か?!開けて読んでもいいものなのか?!」「でもこの図鑑を貰えるならば、詐欺でもいいか・・・」とか、およそ半日程度の葛藤タイムがあったのですが、後に送り主が判明して本当に本当によかったです。二重にびっくりしたサプライズでした。

いつか一緒にスミソニアン博物館行こうね!>送り主

 

最愛のくまきち:私の扶養家族であり、保護者であり、彼氏であり、彼女であり、パートナーであり、良き理解者の、しろくまのぬいぐるみ。誕生日プレゼントとは全く関係ないけど、今日もとってもかわいいので一緒に撮った、ただそれだけです。

 

まとめ

なんだかプレゼントのこと書いてたらテンションあがってきました。ホホッ!やっぱり好きなモノに囲まれると幸せになれるね。

なんだかここ数年、精神面の成長を置き去りにして「ひっそりと歳だけを重ねていってしまうこと」に、ただならぬ恐怖を感じていたのですが。

歳と取ったからこそ選び取れる環境や責任っていうのは、やっぱりそれなりにあるんだな〜と、自分の頭で考え至り、実感できるようになりました。これからは「自分の中での成長」というか「成熟していくプロセス」みたいなものを、大切にしながら生きていけたらいいよなって、思いましたとさ。

すぐ話が壮大になってしまうけど、平常運転でこんな感じです。

そんなわけで、30歳になった私のことも引き続きよろしくお願いします!

 

ざわ

 

 

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*1:医療従事者の方々はきっと焦っている時間もないくらい懸命に働いて下さっているのだろうな・・・と思うと、私の焦りなんて些細なものかも知れない。私は私なりの社会貢献をしていきたいな。