箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

研究費の不正利用は本当に防げるのか

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「研究費の不正利用はよくないことである」

 

この認識は、多くの研究者間で共有されていることは紛う事なき事実であろう。一方で、研究費の不正利用は、毎年毎年、断続的に発覚、あるいは摘発され、ニュースになっている。

参考:研究機関における不正使用事案:文部科学省

 

また、最近では、某大の某研究所での多額の研究費不正利用が発覚した。私的流用はなかったとされるが、では一体、これらのお金は何に使われたのだろうか。

研究費不正5億円 京大公表へ - Yahoo!ニュース

京大教授ら研究資金1億円超を不正支出か 霊長類研など、10年前から|社会|地域のニュース|京都新聞

京大霊長類研、元所長らが研究費5億円不正支出 設備工事巡り 私的流用はなし - 毎日新聞

 

幸か不幸か、近年において国民の関心はあまり高等教育に向いていないため、研究費の不正利用に関しては、一応このようなニュースにこそなれど、国全体を震撼させるほど大きな騒ぎにはならない。研究費の多くは国の税金であることも多いため、納税者である国民は、もっと関心を持ったり、怒ったりしてもいいんじゃないの?と、個人的には思うけれど。

このように、不正がなかなか無くならない現状を受けて、国(文部科学省)や、大学や研究機関は、教員・研究者による「研究費の不正利用」を根絶させるべく、各種の啓発業務に追われている。

しかしここで一度、考えておきたいことがある。

「不正はよくないことですよ!」という啓発を強化したところで、例えば、啓発の頻度を増やすなどしたところで「研究費の不正利用ってなくならないんじゃないの?」というのが、私のこの度の疑問である。もっと丁寧に言えば、啓発活動をするだけでは、根本的な解決に至らないんじゃないの?ということである。

 

研究費を不正に利用してしまう(かもしれない)3つの状況

思うに、悪しくも「研究費を不正に利用してしまう人」がいたとして、その人の置かれている状況としては、3つ挙げられると思う。

  1. 研究費の利用について適切な教育を受けていない場合
  2. 倫理観が欠如している場合
  3. 良くないことだと知っていてもなお、不正に利用せざるを得ない場合

 

1.研究費の利用について適切な教育を受けていない場合

例えば、研究活動を初めて日が浅いという状況である。自身のもとに来た研究費を、どのように運用していくべきなのか、一方で、どういう行為や利用が禁止されているのか、そこにあるルールを学ぶことは必要である。それらをまだきちんと把握できていない教員・研究者に対しては「適切な時期の適切な啓発活動」は、とても効果的だと思う。

私は現在の職に就いてから、eラーニングなどを通して、研究費の運用に関する解説ビデオを毎年視聴している。この存在が将来的な研究不正を防止するための助けとなる可能性は高いだろう。

 

2.倫理観が欠如している場合

例えば「研究費を獲得した自分は、そのお金を(たとえ目的外使用でも)自由に使う権利がある」という勘違いをしている場合、あるいは「昔はやっていたのだから(※次項参照)今やったって別に問題無い」などと心から信じて疑わない教員・研究者がいたとするならば、そういう人が不正利用をしてしまう潜在的な可能性は、極めて高いだろう。このような場合は、どれだけ一生懸命に啓発活動をしたところで、大きな意味をなさないんじゃないかと、思えてしまう。

では、研究不正をしてしまった人々は全員、この「2」に該当するのだろうか。私は、そんなに単純な話ではないと思っている。

 

3.良くないことだと知っていてもなお、不正に利用せざるを得ない場合

あまり注目こそされていないが、不正利用をしてしまう多くの研究者・教員は、このような状況に陥っている可能性がとても高いのではないか、と私は考えている。

 

研究費をプールしたくなってしまう要因?

研究費の不正利用の中で、かなりポピュラー(?)な目的が「研究費をプールする」ということである。研究費のプールとは、とある研究費を実体の伴わない何らかの目的のために支出し、そこで得た金額を「研究室のプール金」として確保・利用することである。不正に支出する方法も、プールする時の形態も様々あるが、実際のお金として口座等に預けている場合もあれば、企業に預けている場合などもある。

 

ところで「研究費のプール」って、数十年前は、あらゆる大学や研究機関で、割と頻繁におこなわれていた(そして今は大分改善された)と、聞いている。

当時、研究費の不正利用に関する明確なルールがなかったとはいえ、今でいう「研究費の不正利用」をしてしまっていた人たちの目的とは、その「プールされていたお金」の使い道は、一体何だったのか?というと、必ずしも、彼ら自身の懐を潤わせる「私的流用」のためではない。むしろ、私の知る範囲では、

  • 学生への教育の補助(学びの機会を損失させないため:例えば、留学資金・学会参加のための費用に充てること)
  • 若手研究者の補助(若手研究者の食い扶持をつなぐため:例えば、卒業後すぐにポストに就けない人や、就業時期までブランクがある人を一時的に雇うなどすること)、あるいは
  • 研究室運営のための資金(研究室を維持するため:例えば、突然の入り用や、研究費が使用できない期間に備えておくこと)

であったと、聞いている。

私は、これらの目的を達成するために研究費をプールしてしまっていた状況や、過去の教員・研究者たちのことを、責めることができないなと感じている。なぜならば、たとえ「研究費の不正利用」に分類されたとしても、「私的流用」や「横領」などと比べたら、これらの目的はめちゃめちゃ真っ当に思えるし、

「学生の教育機会を増やしてあげたい」とか「若手が今後成長・活躍していくための環境を整備したい」とか思う教育者としての心情も、「研究室を存続させたい、アクティビティを維持したい」と思う研究者としての義務・責任感も、高等教育機関に所属しながら、教育をおこなう者の、研究をおこなう者の、重要な資質だし、それこそが社会的役割でもある思うからだ。

 

個人的に危惧していること

とはいえ、今はもう「プールしちゃダメです!そういう使い方はNGです!」という明確なルールができているので、そのような不正自体も、発覚する頻度も減少しているだろうし、少なくとも「一般的にはよくないことである」という認識は多くの研究者間で浸透しているだろう。

では、かつてはプール金で補ってきていたものたち、すなわち、学生の学びのための補償手段は増えたのか?若手研究者の就職はしやすくなったのか?研究費の利用方法(汎用性)は改善されたのか?というと、実はそうでもない。むしろ、悪化している側面が多いように感じる。このような背景から、私は、今後、研究室の金銭的困窮に耐えられずに、不正に手を染める人が増えてしまうのではないか?ということを危惧している。

 

学生をサポートしたいという気持ち

まず学生へのサポートの話。学生が国際学会での発表や留学を考えている場合、各大学や研究機関には彼らを資金的に援助する制度がある。学生は要件を満たせば申請することが出来るが、申請した全員が受けられるものではない。

一方、学生が「平等にもらえるもの」として、教育経費がある。これは直接学生に支払われるものではなく、学生が研究室に所属すると、一人あたり年間十数万円が研究費として研究室に割り当てられる。教育経費は、学生の研究や教育のために使って良い自由度の高いお金…ということなのだが、たった十数万円程度では、論文1報を出版するにも足りない。国際学会への参加など、不可能に近い。

もし、ラボのスタッフの誰一人として競争的資金等を得られなかったならば、年度内においてそのラボは、活発な研究活動、すなわち論文を出版したり学会に参加したりできないだろうし、深刻な場合は、実験さえ十分にできなくなってしまうだろう。でも、この影響を直接受けてしまうのは、実は、教員ではなく学生である。学生にとって、この「身動きが取れない1年間」は、極めて重大な問題となりえる。なぜならば彼らは、限られた在籍可能年数の中で、学位を取得するために、一定の成果を出す必要があるからだ。

この「失われてしまう1年間」に対して、一体誰が責任を取れるのだろうか。

もちろんプール金の存在を肯定する意図もなければ、推奨するつもりなんて毛頭ないのだが、「(学生の教育の機会や質を維持するために)もっと十分なお金があればなあ」と、考えたことのない教員はいないんじゃないだろうか。

そして、もっと理解できないのは、こうやって「教育に割くお金」が既に、圧倒的に足りていないのに「学生の人数を増やせ」という圧力が某所からかかってくるところにある。元手が無くて何をどうやったら教育できると思っているんだ。全く実態が見えてないじゃん、って思ってしまう(愚痴です)。

 

若手研究者をサポートしたいという気持ち

次に若手研究者へのサポート話。おそらく、学生のためのサポートよりも、受けられる機会は激減するだろう。例えば、先に挙げたような「次の職探しまでの期間」という限定的な雇用をできる財源が少ない。もしも、自分の境遇に理解を示してくれて、なおかつ潤沢な研究費を持っている教員・研究者を運良く見つけられれば、期間限定的に雇ってもらえることも可能かもしれない。が、持っていなければ当然、難しい話である。すると、当該若手研究者は、研究者としての居場所、すなわち「所属先」を失ってしまうことになる。所属先がないと研究費の申請等ができなくなることがあるため、研究者にとって所属先はとても重要であるのにも関わらず…である。そして、この状況をなんとかして防ぐための苦肉の策として「無給研究員」として所属せざるを得ない、というケースを、しばしば耳にする。

しかし、若手研究者にも「生活」があり、いくら自分で選んだ仕事だったとしても「無給」では、ご飯を食べていけないし、生きていくことはできないのだ。

こんな状況を目の当たりにしたことがある人ならば「なんとかして彼/彼女を、少しの間だけでも雇ってあげられないかなあ」と思ってしまうのは、ごく普通にあることだと私は思う。

もちろん若手研究者が(パーマネントで)就職できる先が十分にあれば、このような問題はさほど大きくならないのかも知れないが、そうでもないから大変なのだ。また、たとえ次の職が決まっていたとしても、例えば「卒業してから働き始めるまでの期間」、あるいは「(留学先から)帰国してから働き始めるまでの期間」など、数ヶ月単位でブランクが空いてしまうケースは、頻繁に起こりうる。

 

研究室を安定して運営したいという気持ち

最後に研究室の話。研究費のプールが常態化していた頃と比べれば、立替払や繰り越しができるルールが一部でできたため、部分的には改善されていると考えられる。

しかしながら「研究費が自由に使えない期間」というのは、依然として存在している。実体験とヒアリングによると、最も運用が大変なのは2-3月くらいの年度終わりで、その後は6月くらいまでは自由度が低いようだ(所属機関によってバラツキがある)。

もし、年度内の会計が閉まった後に実験装置が壊れてしまったら、一体いつまで修理を待てばよいのか。もしそれが、実験の途中で起きてしまったら?迅速な対応が求められるものだったら?いざという時のための備えが欲しいと思ってしまうのは、至極あたりまえの発想に思える。

 

と、このようなシステムとしての使いづらさ(研究費使用の自由度に季節変動があること)も問題だが、そもそも論として、過去と比べて今の方が、圧倒的に運営交付金が減らされている、という世知辛い状況もある。運営交付金は、数ある研究費の中でも自由度の高い資金源である(研究全般のためにも使えるし、学生の教育にも、雇用するのにも使える)が、それが全くもって足りていないのだ。*1

運営交付金の金額もまた、大学・研究機関によってまちまちだが、中には「年間で数十万円」を下回る研究室さえ存在する。ちなみに私が現在所属する研究室は、分析に用いる消耗品だけで数百万かかるので、このラボをやりくりするには、たったひとりの運営交付金だけでは、とてもじゃないけどやっていけないのだ。

 

そんな中で「貰えるお金が減らされていく一方ならば、他の資金源(競争的資金)に頼るしかないよなあ、、、」という理屈で、多くの研究者が競争的資金を獲得するために奮闘している、というのが、昨今の日本の研究・教育機関における研究室運営をとりまく現状である。だが、皆が同じようなことを考えてるので、競争はより激化しているし、そのための申請書作成などに時間を奪われ、教員・研究者達はとても、とても疲弊しているわけである。「自分の研究が全然出来ない」と嘆いている大学教員は、実は結構たくさんいるのだ。

こんな背景から、例えば大きな研究費を得られた時に「お金がある時に少しでもどこかに貯金しておけたらいいのにな〜」と思うことは、よくある話なのではないだろうか。

 

 *** 

以上のような、疲弊した状況の中で「少しでも学生の教育を充実させたい」「若手研究者の未来に投資したい」「安定して研究できる環境を作りたい」と願っている人間ほど「研究費をどうにかプールできたらなあ〜」という思考が、頭を過ぎってしまうのではないだろうか、というのが、個人的な考えである。

ただ、頭を過ぎってもなお、多くの研究者が「不正利用」に手を出さないのは、決められたルールの中で公正に研究活動をしていきたい、という、研究者あるいは教育者としての矜恃を持っているから、なのだろう。

もしも「○○万円くらいまでなら貯金しといてもいいですよ!」となったら、しておきたいと思う人はたくさんいるのではないだろうか。

 

研究費の不正利用を根本的に無くすためには?(個人的な提案)

このような、多くの研究者が潜在的に抱えている(かもしれない)不正利用のリスクを減らすためには、前述したような「学生の支援」「若手研究者の支援」「研究室運営」などを、余裕を持って、十分におこなえるシステムの整備が必要不可欠である、と私は考える。

今まで挙げてきた問題の中には、お金で解決できること(お金によって軽減できる研究者側の負担)が多くあるため、運営交付金や教育経費が、もっと潤沢に支給されることが最も理想的かもしれない。しかし、悲しいかな、現代の日本ではその真逆を突き進んでおり、運営交付金は毎年毎年減らされ続けているので、それも期待できない状況だ(もちろん、諦めずにアクションを起こしていくことは重要なのだが)。無い袖は振れない、という状況も、理解できなくはないし。

 

となると「運用面での工夫をすること」が、今私たちが最も手軽に(?)不正利用のリスクを減らせる方法なのではないかと思う。例えば、

  • 目的に応じた積立金ができるようにする
    ・・・期間と金額を決めた研究費の積立を可能にする。例えば「15万円を10年間積み立てて、10年後に150万円の分析装置を買えるようにする」などの制度を作る。

  • 緊急時に備えて、お金の前借りができるようにする
    ・・・ある程度の金額の上限、返金の期間を設けて、急な入り用には部局からお金を借りられるようにする、など。

などといった、フレキシブルな研究費の使い方があると良いなと思う。

そして「いざという時には頼れる」という制度がもたらす安心感そのものが、特に研究室運営で疲弊している教員を支えうるのではないか?と考えている。他にも良い方法があるだろうか。あるならばぜひ共有して欲しいです。

 

不正利用に手を染めないために実践していること(私の場合)

私自身に関しては、状況としては「ルールを知らずに不正してしまうリスク」が圧倒的に高いという自覚があるため、研究費を利用する時には、まずは上司や秘書さん、そして運用に関して圧倒的な知識と経験を持つ部局の会計の方々に相談してから使うことにしている。

大半の研究費不正利用は「研究費毎に定められた使用ルールを外れているのにもかかわらず、無理矢理利用しようと悪あがきするというところに起因する」と思っているので、「その使い方はダメ」と言われたならば、さっさと違うルートを探るのが良いのであろう。それでもどうしても必要だったら…そうだなあ。おそらく知り合いの教授とか、部局長とかに相談しに行くだろうなあ。もしそれでもダメなら…頑張って研究費をとってくる以外に方法はないのかな?涙 

なんだかみんなで疲弊していく未来しか見えなくて辛い。

幸いにも未だこのような状況にはなっていないのだが、少しでも余裕がある時に、起きてしまっている問題に対してきちんと背景を理解しておくとか、そして解決策を提案できるように考えておくとか、そのための準備をしておくこと(意見をまとめておくこと)が、今の私にできることかなと思っている。

 

何かご意見があれば、ぜひお聞かせください!では!

*1:どのような状況に置かれているかというと、家計に例えるならば「国が「貯金をさせないルール」をしいておきながら、給与も減らしてくるし、そのわずかな収入でさえも、年度をまたぐと使わせてくれない」みたいな感じである。