箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

アラサーが受けがちな質問に勝手に答えるよ!

答えるのが面倒くさい質問たち

アラサーになると「やっかいな質問」というのがいくつか出てくる。聞かれる度にいちいち説明するのがどうにも面倒臭いため、一括で答えをまとめておこうと思い、勝手に書き殴ります。もし今後これらに当てはまることを第三者に聞かれたら、URLかPDFにして送りつけることにする。

 

 

1. (もう良い歳だけど、なんで)結婚しないの?

回答:余計なお世話です。

そもそも論として、私は現代において施行されている「従来通りの結婚制度」に疑問を持っているタイプなのですが、あなたはどうですか?そして、一体なぜ「結婚する人生を是とする想定」で話を進めているのですか?と問いたい。

と、そんなことを言っている私でも、いわゆる結婚願望(というよりもむしろ「他者と協力プレーで人生を乗り切っていきたい願望」)というものは明確にある。「これから先の人生、平均寿命まで生きるとしてあと50年、その間ずっと一人で、あらゆる問題に対しても一人で解決して生きていかなきゃならないんだなあ。自分を守れるのは自分しかいないんだなあ・・・」って思い続けるのって、不安だし、心細いしなあ、と、思うわけです。かといって「協力プレー」するパートナーは、誰でもいいってわけじゃない。それは相手からしたって同じでしょ?今のところ、その相手が見つかっていないからしていない。ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもないのである。

一方、個人的に「結婚」とは、お互いに選び、選ばれた者が得られる「手段」のひとつであって、選択をするためには、それなりの、勇気や勢い、決断する覚悟が必要とも思っていて。未熟な私にはまだできんなあ・・・と考えてしまうのである。

 

まあ、それはそれとしてもさ。もう、いい加減やめませんかね、他人の人生を興味本位で詮索するの。こういう話って、聞いたところで、何が楽しいの?一体、誰に何の得があるんですかね?少なくとも私は「答えるのめんどくせえな」と思っているし、私の人生は一時の話のネタのために存在してるわけじゃないし、安く消費しようとしないで欲しい。こういうやりとりを「コミュニケーションのひとつ」だと思っている人もいるかも知れませんが、それは大きな間違いです。人のプライバシーにズカズカ踏み込んでしまっていることに対するデリカシーの無さや、こういう質問自体が余計なお世話であるということに、早く気付いて欲しいです。

また、相手がセクシャルマイノリティ等である場合は、パートナーがいても「制度上結婚したくてもできない」という可能性だってあります。他者がおかれているあらゆる状況に対して想像してみたり、あなたのその何の気無しの発言で他人を傷付けている可能性に目を向けたりしてみて欲しいです。

また、たとえ相手が既婚者であったとしても「結婚生活についていつでも尋ねて良い&内容を教えてもらえる」というわけではないだろうと思います。全ての家庭が、必ずしも円満であるとは限らないし、たとえ円満であったとしても、大っぴらに話したくない人だっているわけですからね。

 

そもそもね、人間というのは、話をしたいときには自分から(半ば勝手に)(惚気だろうが縁談だろうが破談だろうが)(相手が聞いていようがいまいが)話すことができる力が備わっているのですから、わざわざ改めてこちらから聞く必要が無いんですよ、多分。

 

・・・ところで全然関係ないのですが、なんで結婚のことを「ゴールイン」って言うのでしょうね。和製英語ですけど。結婚そのものが、万人にとってのゴール(目標)だった時代に作られたのかな・・・とも考えたんだけど、それっていつぐらいの時の話なんだろう。

 

2. (結婚相手になりえるような)良い人はいないの?

回答:良い人はもちろんたくさんいます。

この質問に関しては、しばらくの間「それがなかなかいないんですよ〜!」と、ずっと答えていたのですが、実際は違うな?ということに気付きました。良い人というのは確実にいます。例えば、私が「あ〜この人のこういうところ素敵だな〜」と、人間的な魅力を感じることは、男女問わず、そこそこの頻度であります。

ただ(上でも書いたけど)その素敵な人もまた、私のことを「ザワってなかなかいいじゃん」と思ってくれるかどうか、そしてその相手に、現時点で配偶者や交際相手がいないという点が、大きなハードルとなるわけです。そこがうまく、気持ち的にもタイミング的にも、マッチングすることがあるのならば、私は喜んでその方とお付き合いしたいと思うんじゃないですかね。そういう状況になってないから、まだわからないけど。

ちなみに私の気になるタイプは

  • ありがとうとごめんなさいがきちんと言える人
  • 対話(議論、話し合い)ができる人
  • 他人を傷付けるような言動をしない人
  • 逃げ出さずに対処を試みる人
  • 選挙に行く人

ですね。どうですか?理想高すぎですか?

でも、これらのことをお互いにできないと(できるように心がけて生活しないと)、長期的に良好で対等な関係性って築けないと思うので・・・大切な要素だよなあと思っています。

 

でも言ってしまえばね、1を含むこれらの類いの質問もまた「他人のプライバシーに土足で踏み込み案件」ですし、普通にセクハラ相当と思いますけどね!「自分が心を許している相手」以外から聞かれたら、相当に消耗しますよ。それがもし、交際相手のいない私にマウンティングしたいだけなら、今すぐその口をかがり縫いで閉ざしてやるぞ??と思います。一方で、もし私の行く末を案じてくれているならば、上記条件を満たす人間を早急に紹介してください、という気持ちでいっぱいですね。

 

そもそも「恋愛を経て結婚すること」を「人類の幸福の唯一解」みたいな感じで扱われるの、めちゃめちゃ違和感ありますし、本当にやめてほしい。結婚なんてただのセーフティーネットなのに(※諸説あり)!私は万人が幸福になれる可能性を人生をかけて模索したいよ。

 

3. (あなたが結婚して子供を産まないと)○○家の血が途絶えるんだぞ!

回答:知らんがな。

です。ならばあなたは、○○家の血を途絶えさせないために結婚したの?だとしたら、私とは価値観が合わないので、あなたの価値観を押しつけないで(=私のことは放っておいて)欲しいです。私も押しつけないので。。。

大体、そんな圧をかけたところで、私(や、他の未婚者諸君)が「あなたがそう言うなら、いっちょ結婚してみるか〜!」ってなると、本気で思っているのでしょうか。そんな脳天気な人間だと思われているのですかね。「他人に言われたから」という薄っぺらい理由だけで、恋愛をし、結婚まで至り、子供を産み、育てられると、本当に思っているのでしょうかね?そこで生まれた子は「あなたのことは、家系を途絶えさせないために生んだのよ」と言われて、果たして嬉しいと思うのでしょうか(私は思いません)。

つまり、その人が発した言葉というのは、私の幸せや、私の子供の幸せを願った言葉じゃない(ように聞こえる)というところがモヤっと、そしてイラっとするわけですね。何故そう思うのかと言えば、もし本当に私や子の幸せを願っているならば、こちらに罪悪感を抱かせるような説得をすることは全く効果的ではないからです。

もし「結婚して子を持つことが幸福につながる」と本気で思って(信じて)いて、それを私や他の独身諸君に薦めたいと思うのならば、やり方を変えた方が良いと思います(私はアプローチすること自体やめておいた方がいいと思うけど)。

 

高度に文明が発達した現代社会において、私たちは生物種としての存続のみを理由にせずとも、生き長らえたり、子を設けたりできるようになったはずです。そのおかげで生じているシステム上の問題は多々ありますが(少子化など)、まあ一旦それは置いておくとして。個人レベルで考えたら、私は「血を受け継がせるために生む」のではなく、少しでも「ひとりの人間として生きる幸せを実感してもらうために産みたい」し、「今後の幸福」をできるだけ多くの人に望まれる環境で産んであげたいものだなあ、というのが正直な気持ちです。

 

確かにね、「とんでもねえ旧家」とか「とんでもねえ財閥」とかだったりしたら、跡取りとか?何だか知らないけど、そういうものを?考えることも?ひょっとしたらあるのかも知れないけれど。ほとんどの国民は、町人とか百姓の家系で、名字さえなかったわけです(参考:江戸時代)。「○○家の血〜」とか、一体どのくらい前の話をしているのかな。

まあ、たとえ先祖が武士だったとしても、よ。その武士(もののふ)どもの魂とか、別に現代を生きる自分たちに宿っているかどうかなんてわからないし(まあ、ホラ貝の音を聞いたら「出陣」したくなる気持ちはわからないではないけど・・・でもそれは魂が云々というよりも、映画やアニメの影響だろうからね)。

私の心も身体も全部私のもの。「○○家の血」に関しては、極めてどうでもいいです。

 

4. 孫の顔を見せてあげるのが本当の親孝行だからね?

回答:知らんがな!!!

パート2です。もし仮に「親に孫の顔を見せることが私がすべき唯一の親孝行」ならば、もし病気等で子を待てないことがわかったら、私は一生「親不孝者」としての烙印を押されるのですか?一生誰かから批難・糾弾され続けなければならないのですか?そんな罪悪感のようなものを、呪いのようなものを「子を持たない(持てない)全ての人々」に背負わせていることを、理解した上で発言しているのでしょうか?

それとね。もし私の両親が「孫に会えて幸せだな〜!」と感じてくれるとするならば。それは「私と、その子供が幸せであることが前提」ではないでしょうかね。例えば「子を養うための十分な力がない」のにも関わらず子を設けたとしても、その後、様々なしわ寄せがいくのは、他でも無い「私の子」になるわけです。弱き者により多くの負担が行くような状況下で「親の喜ぶ顔が見たいから」「親孝行したいから」という無責任な理由では、たとえ結婚していたとしても、子を設けたいとは私は思いません。

 

ちなみに「本当の○○」という概念は「当該人物の価値感の中で見出された答え(のようなもの)のひとつ」でしかないので、各位は彼らの心ない言葉で傷付かないように気をつけてね。こちらに幾ばくかの罪悪感を芽生えさせて、行動をコントロールしようとしてくる奴、心からうっとうしいなと思います。

 

5. 子供を産むなら早いほうがいい(から結婚も早い方がよい)?

回答1:これはそれなりに同意です。

なぜかというと、体力は年々衰えるからです。子育てが体力勝負っぽいことは、経験していなくてもいろいろ聞き及んでいるので大体わかります・・・。でも、その質問を、私や私と同じ境遇の人達に直接ぶん投げる前に、どうか、日本社会で晩婚化が進んでいる背景とか、「子を持たない(持てない)人生」を選ぶ人たちの背景や理由に、目を向けてみてください。

個人的な話をすれば「自分の形質が遺伝した存在」に会ってみたい!という興味は、猛烈にある。その一方で、たとえ若かろうが、歳を取っていようが「不妊」という問題に悩む可能性は必ず存在する(原因は女性にも男性にもありうる)わけで。だから安易に女性ばかりにその文言を言わないで欲しいな・・・とは思う。

 

回答2:でも、私にとって「子を産むこと」は結婚の目的ではない

ちなみに私には、パートナーと共に「子と一緒に成長していく」という経験をしたい願望がある。けれど、必ずしもそのプロセスで「実子」が求められるとは限らない気もしている。自分の赤子は確かに可愛いだろうが、他人の赤子だってはちゃめちゃに可愛いことは、友人達の子供をみていればよくわかる。たとえ実子でなくとも、ずっと一緒に暮らしていたら、愛情が芽生えないはずがないだろう。

たとえ自分自身が産ま(め)なかったとしても、里親や養子縁組などといった制度を利用して「今この世に存在している命」を大切にすることにだって、大きな価値があると私は思うのである(これはいつかちゃんと記事にしたい)。これは、ペットを「愛玩用」ではなく「家族」として受け入れている人たちにならば、理解してもらえるんじゃないかな。保護動物を迎え入れている人たちなら、なおさら。種族さえ違くとも家族になれるのならば、人間同士だってできると思うんです。つまりは、自分が出産することを想定に入れないならば、必ずしも「(結婚は)早いほうが良い」というわけでもないんじゃないかな?と、思うわけです。

しかしその場合は当然、加齢に伴う病のリスクなどは考えなくてはならないので、そういうときはバチバチに保険に加入して、私や配偶者がぶっ倒れても死んだとしても、大学卒業まで困らない程度の備えはしておくつもりです。里子には保険金を受領する資格ないのかな?だとしたら養子縁組利用して法的に家族になるのがいいのかな?

 

6. 地元には帰らない/帰ってこないの?

回答:帰ってくる理由があればもちろん帰ると思いますが、「地元に帰ることが目的」という風には、少なくとも私はなりません。

これは難しい質問。難しいというのは、答えるのは簡単だけど、理解して貰えるかどうかがわからないと言う意味での難しさです。まあ、してもらえなくてもいいんですけどね・・・。

現在私は、地元から遠く離れた場所で仕事をしているのですけど、例えば「やりたい仕事が地元にある」ならば、あるいは「配偶者の職場が近い」「地元が一緒」とかいう状況下で「私が今の仕事をやめて、配偶者と同居するという選択をする」ならば、地元に帰る可能性は、無きにしも非ずかなと思います。

けれど、上記のような「今の生活(仕事や環境)を手放してまで、地元に帰らねばならない理由」が、今のところ私には無いし、今は自分の人生を歩むのに必死だから、そもそも「地元に戻るべきか否か?」を考える必要性が出てきていない(今後どうなるかはわからないけど)という状態ですね。今のところ、一人暮らし楽しめているし(新型コロナウイルスの影響で、人に会えなくなって寂しい思いをすることもあるけれど)。

地元が嫌いなわけじゃない。幸いなことに、家族が嫌いなわけでもない。夏の気温が高くてサウナみたいになっていること、そして「この歳で未婚彼氏なし」の肩身が狭いこと(田舎あるある?)という部分を排除することができるならば、住み心地はそれなりによい。友達だっているし、実家の庭から見られる夜空の星々は本当に本当に綺麗だし、気軽に登れる山だってあるし、都会から程よく離れていて、行こうと思えばすぐに行けちゃう、とっても良い場所であると思っている。海はないけどね。

 

7. 何の仕事してるの?

回答:私は某大学で、研究・教育職をやっています、が、その話、本当に興味ある?

これは世代問わずなんですけど、誰かと新しく出会うと絶対こういう話になりますよね。久々に会った友達が、近況を聞いてくるとかなら全然わかるんだけど、特に初対面で聞かれた時、私はすごく困ってしまいます。

私は、聞かれて困るような仕事はしていないので、尋ねられた時にはそれなりに、ざっくりとかみ砕いて、説明するのですけど。その返事の多くは

  • へぇ、(よくわからないけど)なんかすごいっすね
  • 私とは住む世界違うわ

みたいな感じで、会話が「スン…」と終わってしまうんですよね。

もちろん、私の話がつまらなかったという側面もあると思うんです。そこは改善の余地がもちろんあるんです。けどね、そうやって「なんかすごいんですね」とか「世界が違う」とか、向こうからボーダーを引かれる瞬間を感じると、そこで会話が終わっちゃうんですよね。私たちはこれから仲良くなろうとして会話してるんじゃないの?違うのかな?って。で、後述するような悪い冗談みたいな話を振られた日には、もうなんていうか、その場から立ち去りたくなります。

私にとっては、たまたま肌に合う業界がこれだったというだけなのに。会話のきっかけとして「仕事の話」をふったのはわかるのですが、なんで?ボーダーを?わざわざひいてくるの???しかも「個人の資質」ではなく「職業」という単なるカテゴリで分けてくるの?????というのが全く理解できず、常に疑問に思っています。

そもそも、人は何故いきなり「仕事」の話をするんだろうね。私だったら、その人が好きなもの(趣味など)の話を聞いてみたいけどね。そっちの方が盛り上がるんじゃないのかなあ。

 

8. STAP細胞はあるんですか?!

回答:知るか!!!

前述した会話の流れで、理系の研究者(女性)であることがわかると、9割くらいの人に「おっ!リケジョなんですね!」からの「STAP細胞って、結局あるんですか?無いんですか?(笑)」って聞かれるんです。

もちろん純粋に疑問に思う気持ちから質問されているのなら、こちらも丁寧に(分かる範囲で)答えることもありますが、大半はそんなことはなく、興味本位(というよりもネタ感覚)で聞かれることが多いですね。いいんですよ、どんな小さな疑問だったとしても、決してないがしろにしせず、真摯に向き合い、対応することは、科学者や教育者としてきっと重要なので、その訓練と思えば何の問題もありません。

なんですけどね。科学者や教育者としての視点を除いた個人的な感情に基づいて言うならば、この質問、本当にイラっとするので、この投稿を読んだ人は、理系女子各位には上記のようなことを尋ねないで欲しいなと思います。「すごいですね(よくわからんけど)」という薄っぺらい褒め言葉よりも、こんなしょうもない質問なんかよりも「普段はどんな研究しているんですか?」って普通に聞いた方が、数倍くらい、元気よく、楽しそうに答える人が多いのではないでしょうか。

ちなみに、なぜイラッとするかというと、

  • またかよ!もうこの流れ100億回経験してるわ〜と、盛って愚痴りたくなるくらい、同じ質問を繰り返し受けているから
  • 何年前の話してるんだよ・・・2014年とかの話だぞ・・・という気持ちになるから
  • 逆に、そんな昔の話なのに「理系の女性研究者として真っ先に思いつく人物が彼女なのか・・・」と、非常にやるせない気持ちになるから

です。更に加えるなら「自分たちの存在を『リケジョ』としてコンテンツ化?というよりも異質なものとして扱われている?ことに違和感・不快感を感じている人が少なからずいること(みんなリケダンとは言わないでしょ?)」、そして、正直なところ「もう『女子』とか言ってはしゃいでいる年齢じゃないんだよこっちは・・・」と思う部分があるからです。非常に複雑な気持ちになります。

 

まとめ

いろんな話をごちゃごちゃ書いたのでうまくまとまりませんし、最後の方はただの愚痴だし(笑)、実際にちゃんとまとめる気もないのですが、何かしらの結論を言うならば「他人の人生に口出しをするな」、そして「他者をぞんざいに扱うな」ということですかね・・・

まず「他人の人生に口出しをするな」という話ですが、人の数だけ多様な生き様があり、それが認められつつあるこの現代社会において、自分の価値観を基準に、他人の人生に首を突っ込んだり口を出したりするものではないよ、と思います。どうせ口をだした責任など、とれるはずもないのだから。それでも口を出したくなってしまう各位は、もっと、自分の人生を全うすることに集中して欲しいなと思います。たとえ私たちに何を言っても、あなたたちの思うようには行動しないし、そんな期待には応えられないし、応えようともそもそも思っていないので、はっきり言って時間の無駄だし、お互いが消耗して終わるだけだと思うのです。

そして、口を出された各位は、どうせ口を出してきた「そいつ」は、その発言によって生じうる様々な物事の責任など負うつもりなど無いので(逆に「責任とるよ!」と言ってくる方が怖いよね・・・)、そんな人たちの言葉を聞き入れようとしたり、流されたりする必要ありませんよ、と、自分にも言い聞かせています

結局のところ、自分の人生の責任は、良い部分も悪い部分も、自分で負うしかないから、納得いくだけ考えて悩んで、後悔の少ない選択をしていきましょうね、お互いに。

 

そして「他者をぞんざいに扱うな」という話ですが、どんな人間にも、大人でも子供でも、自分の価値観とか、美学とか、大切にしている(していきたい)ものが、きっとあるのではないかと思います。ですが、ふとした発言や動作によって、意図していようとそうでなくとも、それらを容易に傷付けてしまう可能性をはらんでいます。もしも誰かと良好な関係性を構築していきたい(維持していきたい)と思うならば、相手の存在と同じくらい、相手が大切にしているものにも、どんな環境で何を思っているのかということにも、目を向けてみて欲しいです。そして、もし「そんなのいちいち目を向けるのが面倒だよ」ということであれば、どうか、放って置いてください。

この記事を見て「私の大切にしていた価値観が否定された!傷付いた!!!」という人が、現れるかもしれませんし、現れないかも知れませんが、私はあなたを否定しているわけではなく「あなたの価値観を私に押しつけないで」と言っているだけですから、勘違いしないでくださいね。

 

 

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思いの他長くなってしまった!

これにておしまいです!