箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

満32歳になりました(報告)

お久しぶりです、ざわこです。

個人的な話になりますが、先日、無事に32歳の誕生日を迎えることができました。日頃より仲良くしてくださっている各位、気にかけてくださっている各位におかれましては、改めて感謝申し上げます。

31歳だった1年間は、公私ともに悩まされる事柄がとてつもなく多く、さながら前厄ー本厄、目が回るような日々でした。ブログとしては、趣味の話以外、何の情報もアウトプットできずに終えてしまいました。その都度、考えたことはたくさんあったはずなのですが・・・発信するにも体力が必要なんだな、ということを痛感した1年でした。

というわけでこの記事では、この1年で起きた変化を振り返りつつ、今年の抱負でも述べられたらいいなと思っております。

 

 

自分に贈ったアレンジメント。テーマは「凜とした」

仕事の話

研究室運営が軌道に乗り始めました

昨年度4月に修士学生を迎えて以降、本日に至るまでに、弊ラボにおいては1名の博士号取得者を輩出し(めでたい!)、2名のポスドクさんが仲間に加わりました。現在在席している全てのメンバーは(学生を含めて)各々のバックグラウンドが異なるため、ひとつの自然現象を切り取ったときにも、様々な視点から議論ができ、とてもエキサイティングな日々を過ごせております。研究室設立当初から在席している身としては、このような状態になっていること自体が大変喜ばしく、感慨深いものです。修士学生の皆さんは就職するそうですが、彼らにとって「学生生活最後の1年」が充実したものとなるように、できるだけポジティブな思い出となるように、スタッフの一人として適切なサポートできたらいいなと思っております。

 

私に必要なのは自信か?覚悟か?

軌道に乗っている・・・とはいえ、軌道に乗せられているのはボスの力(研究費獲得力と教育指導力)のおかげです。私は今、大講座制の「恩恵」のみを享受しているため、もし小講座制の教員だったとしたならば、この職業を続けられていないんじゃないか?と、思うわけです。そもそも分析装置の運用費が400万円/年、ポスドクさんを雇うとしたらそれなりの金額が、所属する学生たちを世界各地の学会に連れて行こうとしたらさらにその費用がかかるわけで、そうなると大学から分配される研究経費と教育経費のみで足りるわけがないのです。そして、さらに問題だなと思うのは、まだまだ実績と経験を重ねる過程にある若手研究者にとって、それら全てを賄えるほどの大きな額の研究費を獲得することは、かなり非現実的だったりします。一体どうやってラボを運営していけば良いのか?ということが、常に疑問です。

それから、教育指導については・・・割と本気で悩んでいて、今の自分には「学生に何か教える」ということができる気がしないのです。今いる学生さんの指導教員は私でなくボスなので、私の果たすべき役割といえば、ボスの説明をかみ砕いて補足したり、コメントをしたりする程度であるため、それなりに、まあ、できている気がします。

なのですが、正直に言って、学生のやる気を大切に育てながら、対等に接して、議論して、サイエンスを前に進めるって、なかなかに難しいことだと思うのです。うちのラボの場合、ボスの人間力が高いからこそ、学生さんたちとの関係性が(少なくとも現時点では)健全で、楽しい雰囲気の中で研究活動をおこなえているのだと、客観的に見て思うわけですが、私のような人間に、果たしてそんなことができるのか?ということが、新たな悩みとして浮上するのです。また、そもそも論として、こういうのは「自信」云々以前の問題で、私に「教員としての覚悟」のようなものが足りていないだけなんじゃないか?とも、思い巡らすのです。

今まさに「教員」として働いている皆さんは、いかにして「教員」となったのでしょうか。いろんな方々に話を聞いてみたいです。

 

アレンジメントの一部をスワッグに。長く楽しみたいな

 

日常・趣味の話

登山、再開しました

ブログを読んでくださっている皆様はご存知かも知れませんが、ここ数年にわたって「やるやる詐欺」を繰り返していた軽登山の再開、ついに達成しました〜!!!

きっかけは、仕事で登山をする可能性が急遽浮上し、強制的に体力作りをする必要が出たためです。やはり人は、必要に迫られると行動できるものなのですね。願わくば、もっと自発的に再開できたらよかったのですけれども・・・まあ、これはこれで良かったかな?とも思っております。高校時代から使い続けてボロボロになっていたギアも新たに買いそろえて、今の私はやる気に満ち満ちています!

まあ再開したと言っても本当に軽い山行で、全行程で1時間半程度、距離も短く高低差も少ない山を登っただけはあるのですが、久々(それこそ10年ぶりくらい)に「山を登った時の達成感」を味わえて「そうそう!コレコレ!!!」という、感覚?感情?を取り戻した気がしています。歩いている時の木漏れ日も、土や植物の匂いも、全てが心地よかったです。

今後は、爆弾を抱えている左膝の様子を見ながら、継続的に軽登山おこなうことによって、体力と持久力を身につけ、いずれは人生の目標である「奥穂高岳登頂」を目指していきたいと思います。

それから、奥穂高に限らず「一緒に山に登ってもいいよ!」という方がいらっしゃいましたら、気軽に声かけてください◎>素性のわかる友人たちへ

 

お気に入りのライチョウのぬいぐるみ。いつか本物に会いたいね

 

趣味が増えて友達ができました

ここ数年、コロナ禍で閉塞的な日々が続いておりましたが、ついに私も新たなコミュニティに加わることに成功しました。わーい!!!

元々の地学(鉱物)好きな属性が強化されたというのと、そこから派生して今はとっておきな宝石の収集に勤しんでおります。鉱物は自然が育んだ芸術であり、さらに宝石は人間の技術の結晶なのだ!と考えるようになりました。鉱物も宝石も、突き詰めようとすればするほどなかなかな経済力が要求される趣味ではあるのですが、その時々で無理なく楽しめる方法を模索していきたいです。

それから、昨年の誕生日にも語っていましたが、キラキラしたものを眺めていると、心が浄化されるような気がして、とても良いですね。そしてそれらのキラキラを「かわいいねえ」「綺麗だねえ」「キラキラだねえ」と一緒に愛でたり、話したりする友人ができたことは、私にとってはとても喜ばしいことであるのです。各位におかれましては、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げる所存です。

 

 

さて、32歳・・・

焦らずに着実に、成すべきことを成せ

しばしば同世代友人達と話すことがあるのですが、やっぱり各々がそれぞれの人生の岐路だったりライフイベントだったりに差し掛かっており「ウチら、人生歩んでんね〜!!!」という気持ちになります。ベイビーちゃんを産み育てている友人、結婚し共同生活を楽しんでいる友人、仕事をバリバリしている友人、みんなそれぞれ一生懸命でカッコイイ!えらい!!!と思う一方で、私から見えているのはあくまでも「ポジティブな側面」であることが多い(のかもしれない)という可能性を、忘れたくないなって思います。

このくらいの年齢になると、良い意味でも悪い意味でも、自分の人生と、少し属性の離れた他人の人生を、比較してしまいがちだと思うのですよ(私見)。でも、そもそも違う人生なんだから比べたって意味ないし、うらやむ必要もないし、もちろんお互いの生き方や人生をリスペクトすることはめちゃめちゃ大事だけど、それぞれが自分の生き方に自信を持って生きていたら、それが一番素敵だよねって、思います。ナンバーワンよりオンリーワンって、きっとこういうことなんだよね。

けど、どうしたら「私」が「私の人生」に自信が持てるのか?というところは、未解決のままです。多分私のような人間は、こういうことを一生考え続けるんだろうな・・・

 

与えられた分以上に与えられる人に

私の好きな漫画の一説に、こんな台詞があるんですよ。

人に与えない者はいずれ人から何も貰えなくなる
欲しがるばかりの奴は 結局何も持ってないのと同じ
自分では何も生み出せないから

私にとってこの言葉、ものすごく刺さっておりましてですね。私自身は、環境から、他人から、いつもいろいろなものを与えてもらっているけれど、それをひとつとして、他者に還すことができているだろうか?誰かに「与える」に値する何かを、果たして生み出せているのだろうか?ということを考えるのです。自分の利を優先して、他者から何かを搾取してしまっていないだろうか?次世代に投資し、育くむ、という社会的責任を、果たせているだろうか?

何をどうすればいいのか、具体的な方法が思い浮かんでいるわけではないのだけど、そういう視点を持ちながら、自分に何ができるのかを考えながら生きていきたいですね。

 

とりあえず、こんな感じでしょうか。

良き1年にしていきたいですね。こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします!