新年度になりましたね
4月になった。新年度である。先日私は、自分が担当する教育部局の入学ガイダンスに参加してきた。ふと11年前の自分のことを思い出した。修士までの学問分野を離れ、新しい1歩を踏み出した説明会。それまで在籍していた大学生活とは全ての勝手が違っていて狼狽えたけど、たとえ慣れない環境でも「私はここで頑張っていくんだ」と、覚悟を決めたことが思い出される。
誰しもが「自分の可能性」を存分に感じている、独特なあの空気感。
ドキドキとワクワク、そして緊張感が混ざったような、背筋が伸びる感覚。
私はその感情を、とうに忘れてしまった。
大学を卒業して働き始めるようになると、いわゆる「人生の節目」を体験できる機会はほとんどない。明確な始まりもなければ、終わりもない。どこかで人は、人生は日常の連続なのだと知る。私は教員として入学式や卒業式に毎年参加しているが、それは学生にとっての区切りであり、当事者以外にとっては単なる暦上の区切りでしかない。
よーいどんで競争が始まるような場は、消耗してしまうから苦手だ。自分のペースで進められるということが、私にとっては自由で気楽であることも知っている。
それでも今回ばかりは「誰かと同じスタート地点に立ちたい」と、彼らのように「これから頑張っていこうね」と言える仲間が欲しいと、思ってしまった。きっと、私の中ではまだ、孤独感が拭えないのだろう。
本質的に言えば、私に仲間がいないわけではない。サイエンスの世界で、それぞれの道を歩む同士たちがいる。そんなことはわかっているのだ。それでも、可能性に満ちた彼らの表情を見ていると、私も同じように「人生は誰にも平等に開かれていて、これから先でどうとでもできる」と、思いたくなってしまう。私以外のなにがしかの存在に、私の「将来性」と「可能性」を見出して欲しいと、願いたくなってしまう。
一方で、もし人生が日常の連続であり「明確な始まりや終わりがない」のであれば、逆に私(たち)は、いつだって何かを始めていいし、終わりにしてもいいということなのだろうかとも思う。その自由を与えられている存在が「大人」ということなのかも知れない。
今年度のテーマ:静かに進む
年始のブログ記事でも述べているが、私は今、コンディションと出力に、大きなゆらぎがある。そこそこ活動できる時と、動けなくなってしまう時との「差」があまりにも大きく(この状態を私は「波がある」と呼んでいる)、自分自身の波に、自分がのまれてしまうということが少なくない。
そんな状態でも、いつまでも蹲っているわけにはいかない。私は(私だけではなく、誰しもが)生きて、生活をまわしていかなくてはならないからだ。人生は、時間は、私や誰かが何を感じ、何を思おうとも、勝手に続いてしまうのだ。
そして、お仕事としてお金をもらっている以上、私には「やらなくてはいけないこと」というものがある。私はそれをおざなりにはしたくない。とするならば、私の当面の目標は「たとえ波にのまれても、浮上して戻ってこられるようになること」だ。
今回の記事は、そんな自分のために行動指針をまとめたものである。
1. まずは、生き延びる
私は、エネルギー状態に波があるものの、“やりたいことがないわけではない”らしいということに、前回の記事を執筆している時に気付いた。しかし、やりたいことをやる(続ける)ためには、人として生きていくためには、何よりも「生活」を維持しなければならない。それをなおざりにすることはできないのだ。
回復(安心・食事・休息)を減らさない(教訓)
私はオシャレをすることや、オシャレしている自分が好きだ。自分を好きで居続けたいからこそ、そのために「自分が理想の体型に近づこうとすること」に大きな執着があった。これまでの人生の中で、私は「自分の体型」に満足したことは無く、自分の理想に近づけない(むしろ離れていく)ことに、劣等感や焦燥感を抱いていた。時には痩身エステに通うこともあったが効果はほとんど無く、サイズアウトした服をいつまでも持っていて(いつか痩せてこれを着るんだ…!)と奮い立たせるものの、一向に減らない体重と体脂肪に恨みの感情を積み重ねていた。
だが、正直ベースで言えば、今の私が、自分磨きにリソースを割くほどの余裕なんて持ち合わせていないことは明白なわけだ。それでもなお自分を嫌わないための余白を残すために、この目標を諦められないでいたのである。でもそれこそが、私を大きく苦しめていたのだ。
改めて私は、自分自身が「日々を成り立たせるのに精一杯な状態」を直視し、そんな中でもどうやって生きていけばいいか?ということに対して、戦略的でいなければならない。
今私を幸せにしてくれるのは、美味しいご飯と、家での生活である。
長期的に見たとき、そこで得られる幸福と貴重な回復源を削ってまで優先すべき事など、存在するのだろうか?
ムキになってサイズアウトした服を持ち続けるより、今の自分を受け入れ、居心地・着心地が良い服を1着買うことで、きっと生活環境と精神衛生が良くなるはずなのだ。
今年度は変な意地を張らずに、自分に戦略的優しさを向けていこうと思う。
2. 無理しない、崩れないペースをつかむ
ここ半年くらいで「頑張った次の日は、出力が全く出ない」ということがわかってきた。もしこの法則が規則的なものであるとするならば、今の私にとっては「頑張れる日」と「頑張れない日」、あるいは「できる日」と「できない日」はセットであると考えなくてはならない。
これまでは「いかにして、頑張れる日・できる日を増やすか」「モチベーションを維持するか」とか「自分を最大化するには」といったことを考えていたけれど、それだと現状にそぐわない。価値観の刷新が急務である。
ということで、じっくりと考えた結果「頑張れなくてもOK」だけど「頑張れた日は超最高」といった、言わば「自分に激甘ハードル」を設けることにした。
“ハードル”と呼ぶにはあまりにも低すぎるかも知れないが、無理して今まで通りの目標を課して「また達成できなかった・・・」と自ら落ち込む回数を増やすよりは、よっぽど健康的だろう。
自らハードルを下げることで「怠惰になってしまわないだろうか?」と不安にならないわけではないが、基本的には「何事も頑張りたい」と思っている人間なので、心身が回復してくれば勝手に動き出すようになるのでは、と、期待している。
3. できる時に、ほんの少しだけでも続ける
しかしながら、激甘ハードルを設けたところで、私の心は全く安心してくれない。心の底から「できなくてもOK」なんて、思えるわけがないのだ。やれるものならやりたいし、うまくできるに越したことはないと思う、私はそういう人間なのだ。
そんな不安症の私には、安心材料を与えるために「何事もゼロにしない、細く長く続けていく」という目標を設定したいと思う。
仕事にしろ、運動にしろ、ゼロのまま次の日を迎えることは不安で仕方がない。そうであるならば「またやれなかった」という後悔を残すくらいなら、その日のうちに、1分でいいから、1ミリでいいから触れてみる、ということをやっていきたい。
書き仕事なら、1フレーズ、言葉の断片だけでもいいから積み重ねること。運動だったら、1箇所のストレッチだけでも、思い立ったときにやってみる、そういうことを続けていきたい。触れることで勢いづいたら、もっと進めてみても良いのだし、疲れている時は「触れたしOK」と自分に言ってあげることにするのだ。
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以上が、新年度を健やかに過ごすために考えたアイデアである。
目立たないかもしれないし、、真新しくもないかもしれないけれど、自分のペースで、静かに進んでいこうと思う。
