行く2024年と来る2025年
2025年になってもう10日が経とうとしている。大学も学期末に向けてソワソワとし出している。このまま時の流れに身を任せてしまったら、昨年の振り返りも今年の抱負も考えられないままになってしまいそうなので、思い切って時間を作って書いてみようと思う。
2024年振り返り
【仕事】新しい仕事(特に研究以外に費やす時間)が増えた
例年と比較して、2024年は学内の業務に費やす時間が圧倒的に増えた。様々な場面で「こういう話があるんだけど、どう?やらない?」とお声かけいただく頻度が爆増した。私にできる(=期待に応えられる予感がする)仕事なら、何だって喜んで引き受けたいと思ってしまう性分である私は、その先の展開について深く考えもせず、いろいろな案件を快諾してきたのだが・・・そのせいで、犠牲となるものが多々あった。例えば、自分の研究活動に費やす時間、学生やラボメンバーと対話する時間、自分のための時間・・・特に「研究する時間」が削がれたのは痛手であった。今となっては後の祭りだが、2025年は自分の「やりたいこと」と「やれること」をきちんと切り分けて仕事を選んでいく必要がありそうだ。
【仕事】時間と引き換えに成し遂げたアウトリーチ活動
2024年、特に大変だった仕事が「取材」だ。回数で言えばたった2回(①大学院生向けの進学・キャリア形成について、②高校生向けの研究内容紹介)だが、平成インターネットの海に浸かっていた私にとって「インターネット上に、顔と名前と職業(そして研究内容)が公開されること」自体が最大級の心理的障壁であり、それは学会発表等にかかるストレスを遙かに超える異様な精神状態だった。
しかし終えてみて思うのは、今までの私にとって「アウトリーチ」といえば「このブログで読者の方々に語る・壁打ちする」ことを意味していたが、今回のようにプラットフォーム等を介して不特定多数に自分の言葉を直接届けられるというのは、貴重な経験だなと感じる。
取材動画を見る時は未だに少し恥ずかしいが、視聴した人々のうち、たった1人でもいいからフックできればそれで良いと思うことにしている。
【仕事】成長も感じたが、圧倒的カリスマの前に平伏す
2024年は海外で研究発表する機会が2度あり、良き経験を積むことができた(1つは基調講演、もう1つは通常の口頭発表)。私の中で「発表スタイル」はおおよそ確立されつつあり、それがどのような形式であっても、内容と構成さえ詰めてあればそれなりの質の発表を提供できるだろうという確信めいたものを得られた*1。大きな発見である。
一方、業界の重鎮たちと議論する機会を得たのだが、彼らは、私が「1」を説明(さえしておらず、図を見せた)しただけで、その20手先くらいまでを瞬時に理解してしまう。そんな状況が多発し、眼前でおこなわれるやり取りに、私はとても落ち込む…わけがなく、大変シビれた(し、むしろ心地良かった)。彼らは一体どんな目で、どんな脳で、どのような解像度の世界を見ているのだろう!ということに非常に興味があるし、私もその世界を見てみたい。どうしたら彼らのような境地にたどり着けるのか、気になって仕方がない。
【生活】立ち止まりながらも動き続けた
2024年は、精神的ストレスを受ける出来事が4回ほどあって、その度に、脳みそにモヤがかかり、眠れなくなり「言葉が出ない・見つからない」ことがあった。
思うように発話できない・物事を進められないことで、もどかしさに苛まれていた期間もあったが、その都度「回復すること」のみに注力し、仕事は「最低限こなせばいい」と方向転換したおかげで(+それを容認してくださった職場関係者各位のおかげで)、私の心身および仕事に甚大な被害が及ぶことはなかった、ように思う。そのせいで貯まってしまった「しわ寄せ」は、2025年の私がきっと頑張るから・・・どうにかなる・・・はず。いや、しなければならない。
休閑話題:2024年ハイライト
1月:【仕事】人生初!基調講演@国際シンポジウム
2月:【生活】フルオーダーリング完成!
3月:【仕事】取材を受ける【生活】石配りプレキャン、玉井詩織ソロコン
4月:記憶にない
5月:【仕事】ポスター発表@国内学会【生活】詐欺に引っかかる、ももクロAEイベ
6月:【仕事】口頭発表@国際学会、論文受理【生活】恩師・友人に会いに大阪ー高知旅行
7月:【仕事】取材を受ける、野外調査【生活】水カンツアー、高城れにソロコン
8月:【生活】石配りプレキャン
9月:【仕事】野外調査、国内学会2件参加
10月:【生活】猫と住み始める、実家で揉め事が発生
11月:【生活】顔のシミを駆逐(革命的!)、星街すいせいソロライブ
12月:【仕事】探究(高校)の講師を担当【生活】ももいろクリスマス

2025年の抱負
【全体】リソースの管理、エフォートの配分を常に意識する
2024年は明らかにオーバーワークだった。ここには書けないことも多々あるが、行動したことや向き合ったことに対しては一切後悔していない。とはいえ、やはり圧倒的に余裕がなかったというのが所感である。実際に、同じ居室の人に「(忙しそうすぎて)声をかけづらかった」と言われたこともある。周囲に迷惑をかけてしまった以上、そこは大いに反省して、改善する責任が私にはある。
この状況を改善するためには、まず「限られた時間の中で、何をやるか?を、自分の中での優先順位に従って取捨選択する」ことが求められる。これは仕事にも生活にも通ずると私は思うし、この選択の「重み」は、年齢を重ねるごとにシビアになっていくのだろうという感覚がある。この間までは「30歳過ぎたら色んな呪いから解放されて生きるの楽になった〜」と思っていたが、年齢相応の悩みってのがあるもんなんだな。
とはいえ、それでも人生は続いていくため、私はこの「選択の重要性」を認識した上で「自分のキャパシティやリソースを増やす」か「実際に”やること”を減らす」か、あるいはその両方を達成する必要があるだろう。
シンプルに考えるならば、自分のキャパシティを増やすために、人生の一部を誰かや何かにアウトソーシングするのが最も簡単だが(例:ハウスキーパーを雇うなど)・・・それは現実的ではないため「やらなくていいこと」を排除したり「やりたくなくてもやらなきゃいけないこと」への労力を最小化したりすることに注力する必要があるだろう。
しかしながら「効率化」と、その「習慣化」は、私がこの世で最も苦手とする部類の仕事だ。どうすれば達成しうるのかというアイデアはゼロだし、たとえ一時的な解決策が見つかったとして、それが「長期的に持続可能か」は、また別の課題としてよく考える必要がある。
抱負として掲げたはいいものの、ここまで「具体的な次の一手」が思いつかないことも稀だ。こういうのは、トライアンドエラーを繰り返すしかないのだろうか。素人目では非効率的に感じるけど、結局それが近道だったりするのだろうか。
【仕事】ゴールから逆算して、余裕を持った行動を
2025年は、成し遂げたいことがあまりにも多い。国際シンポジウムの運営、ガチバトル国際学会への参戦、競争的資金の獲得・・・何一つ逃したくないし、それぞれで質の良い仕事をしたい。だからこそ計画的に行動すべきであるが、如何せん、これまでの人生経験で「まあ、最悪どうにかなるっしょ!(そしてそれなりにできてしまう)」という最悪の学習をしてしまった。
よって今年は「自分を律して、然るべきタイミングで最高のパフォーマンスを発揮するための自己管理をすること」が課題となる。
また、成し遂げたいことは2025年のイベントのみに限らない。2024年に得られた経験から、自分が「仕事を通して、どのように社会や学術界に貢献していきたいか」というビジョンの片鱗が見えた*2と感じているので、そのロードマップを意識しながら、現在地と目的地を見失わないように、都度確認しながら、確実に歩みを進めていきたい。
【生活】変化を恐れず、コンフォートゾーンから抜け出す
私はどうしても人生が仕事基準になりがちなのだが、今年(というよりも、これから)は、今まで以上に、多様な仕事に挑戦していきたいと思っている。でもそうすると、必然的に、今までのライフスタイルや、誰かや何かや環境に甘ったれたワークスタイルが通用するはずがない。すなわち、私はこれ以上「今まで通り」を続けるわけにはいかないのだ。
やりたいことをやるため、生きたい人生を生きるために、そして、それに挑戦できる環境に身をおけている身であるからこそ、ライフワークバランスの「ライフ」の部分から積極的に、自分主導でドライブしていく必要がある。最初はうまくできないかも知れないけど、これに関しては一歩ずつやるしかないと、現時点では考えている。

【おまけ】今年やりたいこと
英語:今、会話も発表も質疑応答も、なんとなくパッションでできてしまっているので、正しい英語を正しい発音で、状況に応じてうまく話せるようになりたい。オススメの教材があれば教えて下さい。
猫と和解せよ:まだ生後8ヶ月の幼い家族がいるのだが、ツンツンの時とデレデレの時の差分で毎日風邪引きそうになっているので、適度な距離感を保ちつつ信頼関係を構築していきたい。
鬼滅映画を20回見たい:無限城編が楽しみすぎる。
運動を習慣化する:ヒトの代謝活性は35歳で大きく落ちるらしい。健康維持のためにはしっかりと運動をしたい。ヨガに加えて水泳もやりたいけど、どうやって時間を捻出すべき…?
そんなところでしょうか。
今年もよろしくお願いします。
今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」
