箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学助教によるいろいろなメモ書き

声の話。

 

「あなたは、風邪でも引いているの?」

幼稚園生から小学生くらいの頃、習い事に行った先で、誰かのお母さんに聞かれた。何のことだか身に覚えのない私は「ひいてないよ?」と、答えていた。誰かのお母さんは、まるで私の返答が「期待外れ」とでも言うように、不思議そうな顔をしていた。その光景が、未だに目に焼き付いている。

 

「この子、ハスキーなんですよ〜」

と、一緒にいた母が説明すると、誰かのお母さんは「あ〜そうなんですねえ!」と、納得しているようだった。

このような状況は、習い事先で私の存在が認知されるまで、何度も繰り返された。

 

この出来事をきっかけに「私の声って、普通ではないのか」と徐々に認識していった。

以来、私は、あんまり自分の声が好きになれなかった。

他人に聞こえる自分の声って、そんなにおかしいのか、と。

 

成長していく中で気付かされた、同世代女子との違い。

可愛い声を出せない。好きな人を応援するための、黄色い声援も出ない。声も低い。歌うことが好きなのに、合唱では悪目立ちするし、好きな女性歌手の歌も歌えない。大きな声を出した次の日は、振動さえしなくなってしまう貧弱な喉。

田舎に生まれ育ち、狭いコミュニティの中で生きていた当時の私は「みんなと違う」らしいことが、やっぱりどうしても心にひっかっかった。

でも、声を変えることなんてできないから、どうすることもできなかった。

いっそのこと、男子声の声優さんになって、コンプレックスを長所に変えてやろうと思った。けど、私には養成所に通う術もなく、すぐに諦めてしまった。

 

「あなたの声は目立つね」

「かっこいい声だね」

「声だけで、あなたがいることがわかるよ」

と、高校時代、たくさんの同級生たちに言われた。彼女たちは、私の声を褒めてくれていたのかも知れないけど、けなしているのかもしれないなあ、とも思っていた。

 

大学に入ってからは

「え、その声酒焼け?」

「しゃべらなければモテそうなのに」

と何度も言われた。

今だったら「あ?デリカシーなさすぎか?殴るぞ?」と対抗できる(かも知れない)けど、当時の私は、ヘラヘラと笑って適当にやり過ごすしか術を知らなかった。

こうやって声に関することをチクチク誰かに言われる度に、ひどく傷付いていたことを思い出す。私が「他人の身体的特徴を弄る人種」を嫌悪する理由は、ここにあるんだけど(マジで何様なんだ?アイツらは)。

 

じゃあ、なんで最近になってこんなことを思い出したのかと言うと、多分、声に関する呪縛が、ようやく解けたんだと思う。

解けるまで約20数年。いきなり解けた理由は、実のところはよくわからないけど、おそらく、ある種の諦めがついたのだと思う。

 

確かに、可愛い声ではないかも知れないけど、好きな人への応援は、別に黄色い声でなくてもできる。

高くて透き通った声ではないけれど、そんな私だからこそ、かっこよく歌いこなせる歌もある。

人の身体的特徴を弄って傷付けてくるようなデリカシーのない人間は、気がつけば私の周りからいなくなっていた(何故なのか?理由は不明)。

そもそも「声」とは人間を構成する要素の一部でしかない。歳を重ねて、自分の内面を見て付き合ってくれる人が増えたように思う。

こんな優しい世界に住めるなんて、当時、悩んでいた私からしたら、大きな救いである。

 

もちろん、可愛く透き通った声を持っている人に対して「いいなあ、素敵だなあ」と、羨ましくなってしまうことも、たくさんある。でも、それはそれでよいのだ。ただ、それを受けて、自分に対して悲観的になる必要はないのだと。そこにようやく気付けた。それがきっと大切なのだと、ようやく腑に落ちたのであった。

 

能動的に解決できたわけじゃないし、誰かが参考にできるようなものでもないのかも知れないけども。

でも、もし今、自分の身体的特徴で悩んで、辛くなっている人がいたとしたら。その呪いから解ける日は必ず来るから、私たちの内面をきちんと見てくれる人だって、世の中にはそこそこはいるみたいだから。だから、自分で自分のことを否定しすぎずに生きていこうねって、伝えられたらいいよなあ、と、思った次第です。