箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

行く2020年と来る2021年の話(備忘録)

ザワです。あけましておめでとうございます。なんだかぼーっとしている間に年末年始を終えてしまいました。皆様はいかがお過ごしでしたか?

今年も例年に違わず、備忘録を残しておこうと思います。でも多分、2020年のことをざっくりと書き連ねてしまうと、悔しかったり悩んだりした小難しい話が圧倒的に多くなってしまいそう。なので、ちゃんと「良かったこと」にもフォーカスできるように書いてみようと思います。

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発見があったこと

結婚式に参列@異国

1月初旬、まだ世界を行き来できた頃に、留学生さんの結婚式@彼の故郷に参列しました*1。この年になると、結婚式そのものにはそれなりに参加させてもらえているのですが、まさか人生の中で、異国の地の結婚式に招かれて、そしてそれに自分が赴くことになるとは、夢にも思っておりませんでした。

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みんなオープンマインドなのでちょっと狼狽えたけど、とてもハピネスな空間だった。

結婚式場の雰囲気、催し事の文化、乾杯する時のルールなどなど、あらゆるものが日本とは違っていて、とても新鮮で、興味深い体験をさせてもらいました。やはり何事も、自分の目で見て、感じて、考えると、世界が広がって楽しいですね。

共に参列した友人(同僚)に「次は日本の結婚式(=筆者の結婚式)に参加させてね(そして日本のことも教えてね)!」と言われたので、いつか近い未来に期待に応えられる日が来るといいな〜!と、心から思いました。結婚式に限らず、母国の歴史や文化、社会のことを、自分の言葉で伝えられるようになりたい!と思えるようになりました。

今までは、人類の歩み(特に歴史)になんて全く興味が湧かず、学ぶ気さえ持てなかったのですが、こういう動機を見つけられたということに、自分でも驚きました。

 

業界の大御所にプレゼン!

2月初旬*2に、某所にておこなわれた勉強会で、業界の人なら誰もが知る某大御所:W先生に向けてプレゼンをしました。そのプレゼンの内容は、同年9月に某雑誌に掲載されることになるのですが、当時は投稿前だったこともあり、その先生の反応(自分たちの提案した仮説を、W先生はどのように思うのか)が気になって気になって。発表する時はめちゃめちゃに緊張しました。

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海の見えるカフェで議論(写真には写ってないけど)。贅沢な時間だった!

肝心の議論の内容に問題はなかったのですが、むしろその後の、複数の研究者が集っての雑談の中で、いくつか心に留めなくてはならない、いや、留めておきたい言葉があったので、引用する形でここにまとめておきます。本当は個別に記事にしたかったのですが、時間の余裕が無かったので割愛します。。

議論においての質問:

あなたのおこなったことは理解できましたが、それによって、業界に対してどのようなインパクトがあるのですか?どんな未来が描けるようになるのかを、教えて下さい。

論文を投稿するときの判断基準:

そこに深く考察する余地があるならば、焦ってはいけません。考え抜いて、‘良い論文’を書いて下さい。

「プレゼン前にとても緊張してしまうんです」という私の相談に対して:

私だっていつも緊張していますよ。あのね、緊張しなくなったら終わりですよ、成長できなくなってしまいますから。

次の研究のアイデアに関して:

イデアだけであれば、同じことを考えている人が世界で10人はいる。そこで「世界で最初」を勝ち取るためには「いかに行動するか」にかかっているんです。

これらの言葉には、W先生の「研究者としての美学」が反映されているようで、とても、心に刺さりました。もちろん、W先生が現役で研究をバリバリしていた時と、今の私たちとでは置かれている環境は大きく異なるので、同じような研究スタイルを模倣できるかと言われたらそれは難しいのかも知れないけれど。終始「流されずに、自分でひとつひとつ丁寧に考えて行動していくんだよ」と言われているような気がしました。

これらの言葉をふいに思い出しては「(たとえ時間がかかったとしても)良い仕事、していきたいな〜〜〜!!!」という気持ちになります。

ちなみに「焦ってはいけないよ」という言葉、W先生以外からもそれなりの頻度で言われます。彼ら曰く「闇雲に論文を量産して業績が増えたとしても、アナタの糧(血肉)にはならないからね」とのことです。

 

新型コロナウイルスの流行

3月。こいつが流行りだした当時は、まさか2021年になっても収まっていないだなんて、ちっとも思っていませんでしたよね。私は根拠もなく「夏頃には落ち着くんじゃないの?」と、考えていました。

私は生物学にも疫学にも疎いので、この流行病に関してここで科学的な見地から何かを言及するつもりはありません。でも、今回の流行に関して個人的な感想を述べるとするならば。人類は「新型ウイルス」そのものの存在よりも、むしろ「未知」や「恐怖」に対して脆弱な生き物なのではないかと感じました。差別とか偏見とか、公正世界仮説などに基づく中傷や排斥行為とか、心が痛むいろんな騒動が、世界中で起きてしまいましたよね。

もう起こってしまったものは仕方ないとしても、私たちは、不用意に他人を傷付けないためにも、そういう「得体の知れない不安」に、おどろくほど簡単に心を蝕まれてしまうことや、そういう時にはいとも簡単に攻撃的になってしまうということを、ちゃんと理解しておいた方が良いのだろうなと思いました。

それから、得た情報の信憑性をきちんと評価できるようになる力(情報リテラシー科学リテラシーなど)や、論理的思考(ロジカルシンキング)、批判的思考(クリティカルシンキング)などを、丁寧に教育できる場を確立することを、私たちは本格的に考えていかなくてはならないんじゃないかな、とも思いました。

私の手が伸ばせる(届きうる)範囲で言えば、大学(院)教育や、研究活動などを通して、そういうことができないだろうか?ということを模索していきたいです。・・・というかそもそも、私が就職先として研究所でなく大学を選んだ目的ってこれだったな、ということを思い出しました(今更)。まだまだ力が及ばず、大したことはできていないのですが、ひとつずつ積み重ねていきたいなあ。

 

悔しかったこと

いろんな予定がポシャった!!!

世界中の皆が同じ境遇に置かれていると思うので、恨み節は抑えめでいきます。でも、言いたいので言います。本来ならば2020年の夏は、3つの国際学会への参加を予定していたんです。2つは日頃から良くしていただいている共同研究者の所属先の近くだったので「会えるの楽しみだね!」と話していたのですが・・・日本よりもよっぽど彼らの国の方が深刻な状況で「会えなくて残念だね」と語りかけることさえ憚られました。みんな、元気にしてるのかなあ。無事でいて欲しいな。

 

それに加えて、ワタクシ、短期的な留学in米国することがうっすらと企画されていたのですが、当然これも無くなりました。仕方ないとはいえ、やるせない気持ちになりますね。留学については、私が「勇気の無さ」を言い訳にずっと踏み切れずにいたのですが、こんなことで不本意に中止する羽目になるくらいなら、もっと早く行動しておけば良かった・・・と、強く思います。まあ、後の祭りなんですけど。

 

そして極めつけは、幼なじみの結婚式に参列できなかったことです。これが最も悔しかったと言っても過言ではない(し、実際に家で泣いてた)。立ち会えないもどかしさで自爆しそうだったので、幼なじみ一同が撮った集合写真に自分をコラージュして、共有アルバムに追加することによって、皆の記憶を改ざんし「存在した」ことにしました。

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実際の画像。「無」から「私」が出現する様子をGIFにしてグループLINEに送ったら「怖い」と言われました。

ところで、参列を諦めてから挙式当日までに「何かお祝いの気持ちを伝える手段はないのか!?」と思って、行き着いた先が「電報」でした。最近は可愛いデザインのものや、小物(記念品)付きのものもあって、とてもよいですね。直接赴いてのお祝いはできなかったけど、伝える手段が残ってて救われました。ありがとうNTT。

 

研究活動が進まなかった

有り難いことに、今年度から科研費(若手研究)を頂戴することになったのですが、研究活動そのものに制限がかかったり、オンライン化に伴い雑多な作業が爆増したり、思い悩む時間が増えたり(これは年々増えている気がする?)などによって、目の前の仕事をこなすのに精一杯でした。実験にしろ論文執筆にしろ、進めたかったこと、たくさんあったのですが・・・新たに何かはじまる気力が湧きませんでした。唯一やったことといえば、解析用のソフトウェアを購入・インストールしただけでした。悔しい、というよりも、虚無感がすごい。

でもまあ、2020年は、生き延びた(しかもそれなりに健康に)だけでヨシとしたい。そうしよう、うん。

ただ、2021年になったからといって(少なくともワクチンの接種が普及するまでは)仕事のし辛さって変わらない気がするので、どうにか実現可能性が高くて、無理のない範囲で研究計画を立てていきたいところです。

 

良かったこと

論文が出版され、安堵!

長いこと時間をかけて書いていた論文が、ようやく日の目を見ることになりました。暗い気持ちになりがちな2020年の中でも、大変喜ばしい出来事の1つでした。私は、論文執筆のプロセスの中で「おかげさまで受理されました!本当にありがとうございます!」と共著者に連絡する瞬間が一番に嬉しいので、今年もそれを体験できてよかったし、最高でした。

また、某K先生から「論文おもしろいです」というメッセージをいただきまして、驚き戦き、嬉しくて小躍りしながらボスに伝えにいったことも記憶に新しいです。‘良い論文’として、後世に残せているといいな〜。

 

英語で講義ができて、成長!

なんとこの私が、人生で初めて、英語で講義をおこないました!!!

まあ、英語の質については一旦どこかに置いておくとして・・・少なくとも「1年前の自分」にはできなかったであろうことを、形だけでもやり遂げたという部分について、成長を感じられて、嬉しかったです。

今後は英語の質もあげていきたいし、欲を言えば、講義を通して「サイエンスのうま味」みたいなものを感じてもらえるような、ストーリーテラーのような「伝える力」を身につけていきたい!という強い気持ちがあります。けど、どうしたらそれを達成できるのかは、正直に言うと全くわかりません。「うま味を伝える」なんて、日本語でさえ難しいのに。経験はこれから増やしていくとしても、どうやったら成長できるのだろうか。

 

イベントが開催できて、ハッピー!

某研究集会@Zoomの運営に携わったり、小規模ながらオフラインシンポジウムを主催するなどできたことが、とても楽しかったです(エキサイティング的な意味で)。

2019年に国際シンポジウムを開催した時も思ったけど、ひょっとしたら私は、イベントごとを計画したり、運営したりするのが結構好き(もしかしたら得意)なのかもしれないです。オフラインでも、オンラインでも、また世界の研究者仲間たちが一同に介して、自由に議論できる場所を作れたらいいな〜!企画したいな〜! 

 

自分の思いを伝える場所を与えてもらえて、ラッキー!

詳細はまだ明かされていない(?)のでとりあえず伏せておきますが、とある書籍の中で、若手研究者としてインタビューを受ける機会に恵まれました。

忙殺され、すてばちな気持ちになりかけていた2020年の中で、インタビューへの回答を考えている間だけは、自分がなぜ今この仕事をすることになったのか、ルーツを振り返ったり、モチベーションを思い出したりするなどして、とても純粋な気持ちに立ち返ることができました。

想定される読者の皆さんに伝えたいことは、きちんと言えた気がするし、校正原稿を見た後には「私にはもっとこんな思いがある!それを如何様かにして表現したい!」という衝動が、自分の中に確かに存在することに気付かされました。今後それをどのような形で表現していくのかはわかりませんが、自分の中のイノセントな感情に触れられる機会を得られたことは、私にとってはとても貴重、かつポジティブな体験でした。お話をくださった某I先生、本当にありがとうございました!

 

2021年の過ごし方(仮)

書き出してみると、意外と良いこともあった気がする2020年。でも、今改めて2020年の始めに書いた記事を見返してみると、なにひとつ達成できていなくて笑えてきます。

自分たちの意思でどこへでも行けて、何でもできた「あの頃」よ、早く帰ってきてくれ〜!と、叫ばずにはいられない。けれど、今後この流行病がどのように収束していくのかは想像に難いし、なんとなくですが、そんな簡単には帰ってこないだろうな・・・という予感があります。

ならば最初から期待なんてせずに、こういう状況下で「とりあえず生きのびる(=順応していく)」ことだけを考えて、焦らずに、のんびり構えている方が、私にとっては精神的摩耗が少なくてすむな〜と思っています。だって、どんなに焦っても、不安になっても、究極的には「自分にできること」をやるしかないし、それ以外には、為す術がないわけですからね。結局、なるようにしか、ならないですし。

以上を踏まえての、今年の目標を考えてみました。

 

健康:「ぼちぼち健康体」で生き延びる

そもそもこの状況でどうにか生きているだけで、私たちは偉すぎるはず。だからこそ、今年は「ぼちぼち健康体」でいることを目指していきたいです!「ぼちぼち」の基準は、今までも行ってた通院は継続するけど、新たに医者にかからなくてすむ状態、としたいと思います。

あとは、これは年齢のせいなのか、あるいはヨガなどに行けず運動量が減ったせいなのかはわかりませんが、なんかこう・・・体重と体型に・・・より大きな変化が現れてきてしまいました。ので、身体のコンディションを整え、ぼちぼち健康体を維持するために、家でもできる運動を取り入れようと思います。具体的には、1日のどこかで、ラジオ体操、柔軟、ヨガ、フィットボクシング、リングフィットアドベンチャーの、いずれかをやるという行動目標を立てようと思います。毎日ハードな運動を能動的にやり続ける気力は私には無いし、気分や体調に合わせてメニューを変えて良いなら、何かしら続けられそうな気がするし。やるぞ〜!!!

 

仕事:「自分にやれること」を模索する

「やれることをやる」と、いってしまうのは簡単だけど、それって結構難しいよね、ということを、最近よく考えています*3。例えば、私の大好きなももクロちゃんとか、クリエイターさんたちとか見ていると、彼らは

私たちは、私たちにできる精一杯のことをやっていきます!

と、ファンに対して宣言してくれるのです。彼らがいる業界(エンタメ・芸術・音楽業界などなど)こそ、大変な状況に置かれているだろうにもかかわらず、ですよ。それを受けて、ファンである私たちは、彼らの言葉や、彼らの作品・パフォーマンスを通して、時には心を救ってもらったり、時には生きる希望を見出したりしているわけじゃないですか。本当にありがたい。何度救ってもらったかわからない。感謝してもし尽くせない。

一方で、私が選んだ職業は「直接的に誰かを勇気づけたり、助けたり」することが難しい(できない)。もし「職業の範囲で成すべきことを成せ」という課題が与えられたとしても、例えば「私と彼ら」とでは、「私と医療従事者」とでは、置かれている状況も、「やれること」の意味合いも、「やったこと」に対する効果も、全くもって異なる。さらに言えば、私は、この流行病の影響で、感染のリスクが増えることもなければ、廃業したり、収入が激減したりする状況にも置かれていない。実際問題として、社会的に見たら、かなり「安全」な立場にいるのだと思う。

もしそうであるとするならば。私が、私の立場だからこそ、社会のためにできることとか、しなきゃいけないことって、何かあるんじゃないの?と、考えずにはいられないのである。それは例えば、目の前の仕事を着実にこなすことなのか、高等教育について新たに何らかのアプローチすることなのか。医療機関や必要とされる場所に募金をすることなのか、科学者として何かを啓発をすることなのか。けど、本当にそれだけなのか?それでいいのか?それで十分なのか?それが達成できたとして、私は満足できるのか?社会は少しでも幸福に向かって行くことができるのか?

おそらく、まだうまく言葉に表せない何らかの思いが、自分の中に眠っているのだろうと思う。これがもう少し明確になると、行動指針が立てられるような気がしているけど・・・まだ答えが出ていない。でも、なんというか、これを考えることを放棄してしまったら、私が今ここに、存在している意味が見出せないような気さえするので、たとえどんなに時間がかかっても、自分の頭で考えて、納得のいく答えを探していきたいです。

 

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気付いたら7000字も書いていました。どうりで時間がかかったわけだ!

こんな感じで私は相変わらずですが、本年もどうぞよろしくお願い致します。

 

2021年 1月吉日 ざわ

*1:当時はウイルスの発生源も把握した上で、渡航先地域への感染拡大は無いだろうと判断し、最大限に注意して渡航しました。帰国後も健康管理や外出の際は十分に配慮しました。

*2:まだ国内での移動に対して制限が無かった頃です。

*3:感染防止策の基本である「手洗い・うがい」「マスク着用」「3密回避」とかは割と達成できるんだけど。