箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

満31歳になりました(感想)

ざわです。先日誕生日を迎えました。私がこの世に生を受けてから丸31年が経ち、人生の32年目がスタートしました。

この1年間での気付き(備忘録)

20代から30代になる時には、得も言われぬプレッシャーを感じて鬱屈としていたような気がしましたが、今年は特にそういうものを感じませんでした。ちょっとソワソワしたけれど、私視点では、ただいつも通り、朝が来て、昼は仕事をして、夜はコンビニ弁当を食べて寝るという変わらない1日でした。それでも、私の周りには「私」という個人の誕生日を祝ってくれる、家族や、友人達がおりまして。それが何より嬉しかったですね。こういう希有な方々の存在自体が、私の人生の中でも誇りの思えることですし、これからも大切にして生きていきたいなと再確認いたしました。

とはいえ、この1年間で何も変化しなかったかといったら、そうでもありませんでした。せっかくの節目なので、思ったことを書き連ねておこうと思います。

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31歳よろこびの舞い

年を重ねるほど生きやすくなっていくのかもしれない

昨年の誕生日の段階でいろいろと気付きを得たのですが、そこからは日に日に生きづらさから開放されている感じがします。特に、今まで無意識的に受けていた「呪い*1」とか「固定観念」を認知できて、なおかつ「それが自分を縛って苦しめているのでは?」と気付いてからが、とても顕著ですね。

今まで触れてきた価値観を自ら否定することは時にくるしみを伴うのですが、その一方で、自分にうそをつかなくて済むということは、とても気が楽です。それに、自分がかかっている呪いのせいで、誰かを傷付けてしまう可能性を減らせるならばなおさら、これからも、どんどん、積極的に呪いを解いていきたいですね。

とはいえ、呪いを全て解いた先に、一切の悩みから開放される・・・という未来が訪れるなどということは特にないと思うのですが、自分の中に確固たる軸を持って生きられることは、私にとっては幸福なことだと信じているので、そういう姿勢で生きていきたいなと思いました。

自分を回復させる術を知っておくと良いかもしれない

新型コロナウイルスが流行る前は、私は時間やお金を、推しに会いに行くとか、友達とどこかに行くとか、そういう目的のために費やしていました。でも、そういうった方向性の趣味を楽しむことが難しかった昨年は、異様なストレスを感じました。やりたかったこと、行きたかったところ、たくさんあったのに、予定をキャンセルするたびに、今回は諦めるかと提案するたびに、心が荒むというか、渇いていくというか。

そんな中で、ある日ついに限界に達して、唐突に爪を磨いてもらったんですね。ネイルサロンで、誰とも話さずに、たった数千円払っただけなのですが、驚くほどにメンタルが回復したんです。

この経験から学んだことは、自分が感じる幸福には少なくとも2パターンあって、そこには

  1. 興奮してアドレナリンがでるタイプの「発散する系の幸せ」
  2. 満たされてリラックスするタイプの「満たされる系の幸せ」

があるのかもしれない、ということでした。今まで私はひとつめについてはよくわかっていましたが、ふたつめについてはそんなに重要視していなかったのでした。

今後もまだいろいろな制限が続く中で、自分が「どのような状態」の時に、心を満たせるのか、ご機嫌でいられるのか、少なくともニュートラルまで自力で(他人に左右されずに)戻ってこられるのか、その術を知っておくことは極めて重要だなと思いました。

いろいろ試したところ、私の場合は、手元(指元)を綺麗にしておく(爪を磨く、ネイルを楽しむ、指輪やブレスレットを装備する、など)、良い香りにつつまれる、お花(植物)を眺める・お世話する、自然の中でボーッとする、キラキラするものを眺める、かわいいものを愛でる、尊いものに思いを馳せる、などが有効だとわかりました。おまじないみたいなものですかね。そういうのを増やしていきたいですね。

 

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誕生日に買ったみどりいろたち。大好きな色。

ちなみに、私の夢のひとつに「魔女*2(概念)になりたい」というのがあるのですが、自分のことだけじゃなくて、他の人の「呪い」を解いたりとか、元気になれる術(すべ)を知っていたり、そういうのができたらとっても素敵だな〜と思ったりもします。

まあ、まずは自分がしっかりしなくてはならないのですけどね!

 

時間や年齢を言い訳にしない生き方をしたい

私の誕生日のおよそ1週間前、5月15日は亡き祖父の誕生日でした。生きていれば95歳、またLINE通話とかして「おめでとう」を伝えていたんじゃないかと思うのですけどね。

tkzwy.hateblo.jp

何かを新たに始めようとする時、いつも私の頭に過ぎるのは「早い人はもっと先に始めているのに、いまさら私がやってもなあ」という気持ち。でも祖父は、私に「30歳ならまだ何だってできるよ」と励ましてくれたし、「何かを始めるのに遅すぎることはない」ということを教えてくれたと、私は感じています。それを受けて、私は誰にも何にも言い訳したくないし、諦めたくないし、できることは全部やりたい。どうせなら、できない理由じゃなくて、達成する手段の方を探りたい。そう思うのです。自分がこれから生きていく上で、ほんとうに大切にしていきたい姿勢です。口だけじゃなくて、生き様で示していきたいな。できるかな・・・やっていきたいな・・・まだまだ全然自信はないけど、やっていくぞ・・・という気持ちでいることをここに記しておきます。

 

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くまきち(扶養家族)とお祝い。今までもかわいいし、今日もかわいいし、明日もきっとかわいいよ。

さて、31歳・・・

年齢の境目にあまり意味を見出せなくなってきた昨今、改めて31歳としての目標を立てる必要があるのかどうか、よくわからなくなってきましたね。笑 ただ思うのは「良い年の重ね方をしていきたいな」ということくらいです。でも、良い年の重ね方って、翻ると「一日一日を大切に、しっかり生きていくこと」なんじゃないか?という、真理にたどり着きつつあります。

そんなこと最初からわかっていたようなことでもあるのですが、実感を伴って思えるようになったのは、私にとっては大きな成長です。目に見えない「誰か」と比べず、昨年よりも今年の方が、昨日よりも今日の方が、今日よりも明日の方が良い自分であれるように、これからもがんばります!

 

こんな私ですが、これからもどうぞよろしくお願いします。

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*1:育ってきた中で、誰かや環境から植え付けられてしまってきた価値観全般

*2:イメージとしては、キキのお母さんみたいな感じ。怪しい術が使いたいとかではない。