箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学教員によるいろいろなメモ書き

平成→令和

ついに平成という時代が終わり、令和という時代が始まりましたね。

私が思う平成は、先の見えない不況が長く続く中で、大きな天災にも見舞われ、多くの人が、不安や焦燥を抱えながら生きてきた、そんな時代だったのではないかなと思います。

一方で、日本人として「戦争」を経験することなく、進歩した技術の恩恵にだけ預かることができた、極めて運の良い、恵まれた時代だったとも、思います。

 

今回のゴールデンウィークで、新天皇即位のニュースを見ながら、私はいろいろなことを考えました。

私は、この29年の人生の中で、喜んだり怒ったり、哀しんだり楽しんだり、笑ったり泣いたりと・・・いろいろなことを経験してきたわけですけれども。

こうやって「なんだかんだ充実した人生」を送れていることそのものが、決して、当たり前のことではないんだなと、改めて思うわけです。

私が、環境教育に熱心な学校で勉強できたことも、高校で科学に出会い、大学で高等教育を受ける機会を得られたことも、自分が好きなもの好きと言えて、それを仕事とできる環境があることも、一人の人間として、女性として、社会の構成要因の一役を担え、比較的自由な立場で働けていることも、この「平成」という時代に生まれたからこそなのだと思うのです。この「有り難さ」に、私は感動を覚えてしまうのです。

大正15年に生まれた祖父は「勉強したくても、戦争に行かなくてはならなかったから、できなかったのだ」と、言っていました。

女性が社会進出し始めたのは戦後と聞くけれど、男女雇用機会均等法が施行されたのは、昭和の終わり頃になってからの話。男女共同参画社会基本法に至っては、平成に入ってからの話で。

それぞれの問題にいろいろな背景や議論があるにせよ、おそらく共通しているのは、「戦争のない世界」であるために、あるいは「お互いの存在や境遇を認め、尊重し合える世界」であるために、過去の失敗から学んだり、恒久の平和を祈ったり、権利の平等を訴えたりと、それぞれが理想の社会を実現するために「実際に行動を起こしてきたから」こそ、今日の世界や時代を構築することができたのだろう、と思うのです。

 

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祖父の家の庭に咲いていた花たち

 

私にとって「平成」とは、これらの「先人達が作りあげてきた理想の社会に、生かされてきた」時代でした。この平成という時代を作っていただいたこと、本当に感謝していますし、この時代に生まれたことも、本当に幸せなことだなと思います。

 

でも、生かされ続けるだけの時代は、もうこれでおしまいです。

これからは「平成に生かされて大人になることができた一人の人間」として、もっと能動的に、社会に参画し、新しい「令和」という時代を迎えたこれからの日本を、積極的に作り上げていく側になりたいと、私は思います。

 

この間、友達と 「私たちの次の時代を生きる人たちが『この時代に生まれてよかった』と思ってもらえる社会にしていきたいね」という話をしました。

そのために、私にできる行動とは何なのだろうか?ということを、問い、学び、行動しながら、これからの日々を過ごしていきたいなと、そう思いました。

 

みなさんは、令和を、どのような時代にしたいですか?