箸はともかく棒にはひっかかりたい

とある大学助教によるいろいろなメモ書き

#BLMを受けて 人類は歴史から学べるのだろうか

そもそも人類という存在にあまり興味が無かった私は、歴史を学ぶ「意味」がわからなかった。「過去から学ぶことが重要なんだよ」と説いてくる人は一定数いたけど、実体験を伴わない「誰かや何かの過ちを知ること」がどのように重要で、私という人間がそれを「どのように活かしていけば良いのか」を教えてくれる人はいなかった。いや・・・いたのかも知れないけど、当時は興味が無かったために、それを理解できなかった。羅列された誰かの名前は、記号としての情報にしか感じられず、それを機械的に暗記することの必要性も、面白さも、何一つ見出せなかった。高校生の時の世界史の授業は(教員には申し訳ないけど)苦痛で仕方なかった。

当時の私は、人類の歴史なんかよりも、自然の歴史(自然史)への興味の方が熱烈に強かった。自然そのものに対して、魅力を感じていたし、畏敬の念を抱いていた。一方で現代の人類に対しては、なんだか自然とは対極にいるような存在に見えて「人類はいつだって利己的で、罪深い存在で、地球にとっては害悪だからいなくなったほうがいいのではないか?」「自分でホモ・サピエンス(賢いヒト)って名前つけるの傲慢すぎない?」とか考えていた。自然史博物館に行くと、最後か最後から2番目のフロアでは人類史の話をしていることが多いのだが、その存在を非常に疎ましく思っていた。「人類が生まれなければ、地球は美しく、強く、時に儚く、それでいて完璧な姿を維持していたのに、よくも!」と、行く度に怒りの気持ちがこみ上げるので、早足に立ち去っていた記憶がある。SF映画で悪役が「人類は増えすぎてしまった。だから消さなくてはならない!」という有りがちな主張をしてきたときには「そうだよねえ」と、サクッと悪役に感情移入してしまうタイプだった。

 

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ここ数年、私は人類との関わりが増えた。

と、表現するとちょっと大げさかもしれないけれど、具体的に言うならば、自分とは異なる環境、異なる文化・社会的背景を持って育ってきた「他者」に出会う機会が増えた。他者とのコミニュケーションをとるうえで、相手の話に耳を傾け、想像を巡らせることが大切で、それによってお互いを尊重しあえるし(完璧ではなかったとしても)理解しあえる余地が増える、ということを知った。

このような実体験をもって私はようやく、今まで全く興味を持てなかった「人類」や「社会」というものに興味を抱けるようになったのである。それは、仲良くなった、対話している相手を尊重するために「何故そう思うのか」「どのようにその思考回路が形成されていったのか」「どんな世界を生きてきたのか」ということを知ってみたくなるし、知るべきことのような気がしているからだ。それだけでなく、対話している相手から「それらのこと」を問われたときに、自分が生まれ育った社会やその構造、歩んで歴史について、全く答えることができないと気付いてしまったから、という側面もある。

相手のことも知りたいし、自分のことも知っておきたい。

これが、人類の歴史に興味を失ってから10年あまり経ってようやく、世界史を能動的に学びたくなる気持ちを抱けるようになった経緯である。

 

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でも、ここ最近、私の中で問題が生じている。

興味を持って、知ろうとすればするほど、人類が辿ってきた歴史が辛すぎて、残虐すぎて、ほんとうに美しくなさ過ぎて、毎回、涙が出てくるのだ。なんというべきか、魂が、削られてしまう感覚に陥る。

「世界の中でどこが覇権を握ってきたのか」「どことどこが戦ったのか」「どの国がどの国の植民地になったのか」

などという情報が「史実」としてサラリを述べられていたり、当時の「勢力図」がカラフルに、わかりやすく彩られていたりするけれど。

その裏で、一体どれだけの人間が、傷付けられ、搾取されてきたのか。どれだけの人間の、血が流れ、命を蔑ろにされたのか、そして絶望の淵で死んでいったのか。そこに思いを巡らせてしまうと、怖くて怖くてたまらないし、胸がギュッと締め付けられるのだ。

そして、今まで「これらの歴史を知らなくても生きてこられた」のは、私がたまたま運良く、この時代に、日本という国で、日本人を両親に持つあの家庭に生まれたから、というだけなんだな・・・と思うと、その事実に向き合うのも、正直言ってとても辛い。今まで「無関心」でいつづけたられた自分の無神経さにも、腹が立ってくる。

私は、ひょっとしたら、今まさに辛い思いをしている「彼」や「彼女」だったのかもしれないのに。

そんなことを思うと「私」と「彼ら」の運命を隔ててしまったものは、一体何なんだろうかと、考えずにはいられない。

 

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まあ、なんでいきなりこんな話をし始めたかと言うと、

今世界中で問題になっている#BLM*1を知ったからである(詳しいことは、最近のニュースを見て欲しい)。そして今猛烈に、未来を憂いているからである。


実際問題として「#BLM と叫ばずには居られない彼らの境遇」と比べたら、私が「極東アジア(日本)人だから」という属性によって「誰かに殺されるリスク」は、さほど高くないだろう。個人的に恨まれたり疎まれたりした経験はあるけれど、私の「属性」のみを理由に嫌われた経験は、多分ない*2と思う。社会構造的に差別を受けやすい「女性」ではあるけれど、現時点では、あくまで私の人生の中では、それを理由に社会的な不利益を被った頻度は、低い*3方だと思う、多分。

 

「構造的な生きづらさ」や「それぞれの苦しみ」を比較すること自体、ひょっとしたら野暮なことなのかもしれない。でも、そうだったとしても、確実に言えることがあって。それは、かつてよりも「多様性」が重んじられるようになってきた現代社会においてもなお、

未だに「差別」や「悪意なき偏見」や「無意識のバイアス」というものが、存在し続けている*4、ということ

しかも、その「差別」や「偏見」や「バイアス」が、「個人の感情や思想」のみに留まらず、社会のシステムにまで反映されてしまっている(そして未だ改善されていない)こと

という現実である。これこそが、今回、#BLM 運動がここまで大きくなった要因のひとつなのだろう、と、私には思えるのである。

 

今までにも「白人警官に罪のない黒人が殺されてしまったニュース」を何回か見てきたはず(∵聞き覚えがあるから)なんだけど、今回の問題を通して、私はようやく、彼らが置かれている状況を、少し垣間見ることができたような気がしている。

彼らは、もっとずっと前から、制度的な生きづらさを主張してただろうに、私は全然知ろうとしていなかった。

今更になって関心を持てるようになったのは、私が「ようやく人類に興味を持てるようになったから」なのだろうか。歴史が得意だったあの子たち、歴史を教えていた先生達は、ずっと前から、気付いていたのだろうか。私だけが、取り残されていたのかな。

果たして、今この世界に生きるどのくらいの人が、「歴史」から「今」を理解することができているんだろうか。

 

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「制度に組み込まれてしまった差別」というのは、侵略と征服に彩られた人類たちの連綿たる醜い歴史の一部もあり、かつ今起こっていることでもある。そして、このままだと、未来にまで受け継がれていってしまうのだろう。

でも私は、そんな世界になんて住みたくないし、自分より下の世代の子供たちに、そんな世界を残したくない。綺麗事かもしれないけど、みんなが個々の幸せを追求する権利を行使できるような世界が良いはずだって、信じたい。

もっと利己的な表現を用いるならば、自分の権利が蹂躙されても許されてしまうような社会システムの中で、生きていたくなんかないし、そんなシステムに荷担したくもない。そんな世界に、次の世代を送り込むなんて、絶対に嫌だ。

 

みんなが生きやすい世界にしていくために、果たして今の自分にどんなアクションが起こせるのかは、いまいち良い案が思いついていないけれど

少なくとも、私自身が、自分に内在する「常識」とか「差別」とか「偏見」とか、そういうものと向き合って、解消していく努力をすることは必須なんだろうな、という、直感のようなものはある。自分にとっての「常識」が、ひょっとしたら、誰かにとっての「偏見」ということがあるだろうしね。

 

「木を見て森を見ず」という言葉があるけれど

「差別や偏見」に関しては、(その人やモノが)どんな森に属しているか、という属性や性質のみで判断してしまうことだと思うから、

私自身は、個人と向き合うときには「森」ではなく「木」の1本1本を、しっかりと見つめて、判断したいなあと思う。社会システムと向き合うときには、個々の木のみならず、既に存在してしまっている「森」という構造と「そのほかの森」との差や、「それぞれの森で一体何が起きているのか」ということを、きちんと見つめる努力をしたい。そして、各々の存在が「大自然」を構成するひとつの木なのである、と認識されるようになるまで、腐らずに、諦めずにやっていきたいなと、思っている。

 

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目の前にある木は、どんな木なのかな。


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しかしながら、ひねくれ者の私は、やっぱりここで「何なんだよ人類、全然学んでないし、過去の過ちから全然進歩してないじゃん!」と思ってしまう。

一方で「活かせていないなら学ばなくて良いのか?」というと、そういう話でもないと、思う。きっと、私の目からは「過ち」に見えるものも、誰かにとっては「武勇伝」なのかも知れないしね(闇が深いな、人類)。

 

多分だけど、その時起きた「事柄」だけじゃなくて、その結果、何が起きて、社会がどうなったのか、それがどういう意味を持つのか、それは誰にとっては良いことだったのか、そして誰にとっては悪いことだったのか、ということを「今を生きる我々が、自分のアタマで掘り下げて考える」ということが重要なんだと思う。

そして「歴史」だけじゃなくて「今起きていること」についても、正しく(すなわち、可能な限りバイアスを除いた状態で)知ること、自分以外の境遇に置かれた他者を尊重しつつ、生きづらさを抱えた「当事者の訴え」に耳を傾け、その上で「最適解(ベストじゃなくても、ベターな答え)」を模索する努力を惜しまないということが、人間社会を維持するためには、大切になるんだろうなと。そんな気がしている。

 

なんだが、うまくまとめられないけど。

今を生きる私たちに何ができるのか、一緒に考えたいね。

*1:Black Lives Matter・・・アフリカ系アメリカ人のコミュニティに端を発した、黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える、国際的な積極行動主義の運動(Wikipediaより引用)

*2:嫌われてこそいないけど「こいつはアジア人だからな〜」って思われている(偏見のようなもの)は、絶対にある

*3:・・・と、思いたいだけで実は結構あるのかもしれないけど、よくわからない

*4:当然、日本の中でもある。そんなはずはない!と思う人は、自分以外の周りに目を向けてみると良いと思う